マンション自治と国政

今住んでるマンションでの議案について旧理事長派と現理事長派で意見の対立が起こっていて、マンション内で(結構まともな)ビラが行き交っている。 住人としてはどちらの意見がより正しいのか、もしくは公益性があるのかを知りたいわけだが、総会の資料やビラを丹念に読んでもどちらに分があるのかはわからない。

どちらのビラや資料も特に感情に煽るようなことは控えられていて、とても良く出来ている。しかし言い分は180度異なる。どちらのビラも基本的に冷静な作りなのだが、一点だけやや感情的な点がある。それは「対立案には激しく反対している」というところだ。

どちらのビラも「みなさんしっかりご自身で判断してください」という書かれ方をしている点は面白い。これには参ってしまって、正直どっちがいいのか全くわからない。A案がいいのか、B案がいいのか、それともどちらも一長一短なのか、それすらもわからない。

普段総会に出席したり、住民自治に積極的に参加していない身からすると「出席してないような奴が文句や不満をいうなよ」と自分自身に諦める部分があるわけだが、一方でこの議案は住人にとってダイレクトかつ金銭的にも直撃する案件でもあり、それなりにコミットしたい。さて困ったなと思ったその時。私はビラを見ながら急に脱力してしまった。

「自分の住むマンションでこの手詰まり感、国の政治なんかうまくいくわけねぇー」

しかし棚にあったアルフォートを食べたらあら不思議。その一過性の問題意識はスッとどこかへ消えて、私は他の娯楽(ゲーム)を貪るのであった。

特に情報が反乱しているというわけでもない。どちらの立場を取ろうともレッテル貼りや罵倒されるわけでもない。両陣営の情報はある程度提供されている。この恵まれた状況で判断がつかないことに脱力してしまった。昨今の政治状況より遥かに恵まれた私のマンション内の出来事について判断できないなら、より大きなコミュニティでは何も判断なんか出来ないんじゃないか。ましてや国政なんか無理筋もいいところじゃないのか。

お菓子を食べてゲームする流れまで含めて、「このような愚かな私の”判断できない”ということ」を、アナロジーとして他人や国政に対して適用することは無礼で申し訳ないのだが、「みんなで決める」というやり方は、幻想なんじゃないかと思えてしまう。

あまり信じたくはないが、「みんなが参加すればするほど民主制は酷くなる」まで十分にありえてしまう気がしてならない。特にネット、とりわけSNSは政治との相性が抜群と言えば聞こえはいいが、部分的には最悪と言ってもいい状況が広がっているのではないか。

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