夢の国のダークマター

想定愚痴問答
  • 政治はおよそ本分とは無関係なスキャンダルや不祥事ばかりに時間を費やしている
  • ただの知名度人気投票とかアイドルの選挙かな
  • いやー酷いね酷いよ
  • いやいやマスコミはもっと醜い
  • 政治の最も酷い部分に焦点を絞って煮詰めている
  • もっと他に報道すべき内容があるであろう
誰が悪いんだ

こんなご意見はごもっともだ。たしかにそうだし多分それであっている。彼らを責めていれば気分も悪くない。

しかし、考えるまでもなく彼らを一方的に責めるのもおかしな話だということもわかる。議員ならば我々国民が選んだ人物や勢力だし、マスコミ各社で働く人々は少なくとも同じ人間のはずである。

しかも、概ね偏差値上位の大学を卒業した優秀な皆さんに政治や報道をおまかせしているわけだ。選挙や入社選考による「そこそこ偏った」バイアスのお陰で、世間一般より優れた人材が割り当てられている。したがって彼らは国民の全体平均よりかなり優れた集合のはずだ。

そんな我々よりも優秀な彼らに対して更に「もう少しマトモであれ」という要求は既に「高望み」だと言っていい。

従って、残念ながら目を覆いたいこの政治と報道の現状は、すでに我々「日本人」でできる精一杯の水準なのだ。「人類」と言ってもいい。これ以上優秀な人材は集めようがないと言えば少し大げさかもしれないが、はっきり言ってこれ以上どうしようもないのは事実だ。

私達は何も悪くないのか

すなわち、どんなに失言や失態を繰り返す政治家がいようが、どんなに質が悪く問題のある報道がなされようが、日本の全体平均より優秀なはずの連中で「この有様だ」という認識を持つべきだろう。言い換えれば、所詮「私達」はこの程度なのだ。

「私達?いやいやそんなことはない。アイツやアイツラが特別に悪いに決まっている。俺のまわりにもあんな酷いやつはいない。」それは確かにそうかもしれない。

実際そうだとしても、標本の中に必ずそういう輩が一定数、もしくは大部分が紛れこむとはどういうことかを考える必要がある。またはそのように変質してしまうのは何故なのかを考える必要がある。

憤慨したい事案は数限りないので毎日ウンザリするのは仕方ない。だがもう少し足元を見る必要がある。政治と報道に憂う根っこには我々国民全体に見えにくいダークマターのように広がる問題があることを忘れてはいけない。

政治家もマスコミも国民の写し鏡でしかない

この状況をひどく簡単に言えば、「政治家は選挙に対して適応しているだけだし、マスコミは現在のビジネス環境に適応しているだけだ」ということになる。

もう少し噛み砕けば、それぞれ主義や主張やプライドはあるにしても、政治家は選挙に勝てなきゃ意味がなく、マスコミも売上やPVや視聴率が悪ければ商売として成り立たない。

勝つために、数字を取るために彼らは何をやっているのか。

政治家側は理念や政策や法案や社会問題などを勉強して訴えかけても選挙で当選できないのなら、そんな努力は時間の無駄だ。もっと国民に対して「ウケ」の良い方法があるならそちらに飛び乗るだろう。その場合当然政治家として本来必要な能力や素養は無くなっていく。

マスコミ側も必要な政治課題や社会問題などを真面目に伝えるよりも、「不安」や「憤り」などの感情を煽ったほうが数字が取れるのであればそちらが優先される。地道に時間を掛けて足で稼ぐよりも、ネットで飛びついた情報を検証もせずに適当に流したほうが時間も金もお得ならそちらが優先される。そしてそんな報道を繰り返していればジャーナリズムとしての機能も能力も当然なくなっていく。

どうしてそんな安直で理念も正義も欠いたことになるのか。

私たちは「大事なこと」には元々あまり興味がない

それもこれも国民の側に理念や政策や法案などの真面目なことには「そもそも興味がない」のだから仕方がない。彼ら政治や報道が何に適応しているかと言えば、我々国民に適応しているだけなのだ。

政治の本質からずれた「ウケ狙い」とジャーナリズムの本分から逸れた「ウケ狙い」に、安易に飛びついて、消費して、咀嚼しているのは我々なのだ。

当然、難しい政治課題を取り扱う能力や専門的な知識は我々国民にはない。何かを調査したりデータを精査したりできないし、世界の様々な国の制度や法律からヒントを得て自国に最適化するような芸当はできない。それは仕方ない。

我々は我々で毎日忙しいのは確かだ。そのための政治と行政のシステムがある。そのために憲法の通り彼らに信託しているし税金を払っている。

だからといって、我々は政治と報道に対して不真面目な態度でいいわけではない。品のない報道が数字を取り、ひたすらウケ狙いに徹した人物や政党が当選する。これでは誰も「大事なこと」を考えない悲惨な末路しか無い。

「大事なこと」を考える人が減れば報道されるわけもなく争点にもならない。数字も取れず、選挙で勝てない、というのなら取り扱う意味が無い。問題の存在自体が認識されないのであればその社会は死んでいる。

「大事なこと」はいつも面倒で難しくて逃げ道もなく、自分の耳が痛いことが多い。大部分が損をするような政策が一番マシな選択肢になっていることもあるだろう。だからと言って逃げ回っていいわけがない。

国民的現実逃避

近年での具体例を出すなら社会保障や財政の問題だ。これらの自分自身とその子供や子孫に降りかかる目の前の問題ですら大して興味が無いのだ。もしくは正面から向き合う気がそもそも我々には無い。

消費税は引き上げられず、財源のないバラ色の政策を平気で公言し、埋蔵金があると言えば当選し、異次元緩和のリスクについて誰も知らない。政治家も役人もマスコミも国民も、誰もが見たいものしか見ない。

そんな国民や社会なら政治や報道が適切に運用されるはずもない。期待されている役割が既に違うのだ。ほんとうに必要な政策はもう国民の誰も求めておらず、ほんとうに必要な情報は誰も聞きたくないのだ。政治や報道には都合の悪い真実は隠してもらい、今この瞬間に快楽に浸れる言説が常に求められている。

他の先進諸国であればこの辺の事情がやや異なる。日本では考えられないようなとんでもない汚職政治家や酷いマスコミもわんさかいる一方で、事の真相に迫る記者やそれを支える報道各社が存在し、その機会が国によってある程度与えられている。そして現実を語り自分の取った政策のリスクを示す役人や政治家がいたりする。そこには多様性が尊重される国民国家と社会がある。

金と時間を湯水のように使う茶番劇

私達は何の足しにもならない茶番劇ほど喰らいつく。

言うまでもなく、政治とマスコミの茶番劇(≒ウケ狙い)に乗せられていては時間と金の浪費でしかない。事実、国会も空転するし、質の低い質疑応答に終始するし、どこかの首長選挙は何回もやり直してる。これらはすべてウケばかりを狙ってやった結果だ。

そして、その時間と金は本来必要だったのかという検証もなされない。もしあったとしてもパフォーマンス(≒ウケ狙い)としての検証しかない。最も本質的な部分については誰もやらないし伝えない。ちょっとでも事実を垣間見れば、政治家もマスコミも国民もその誰もが自分の耳が痛くなってしまうからだ。

どこを見渡しても「アイツが悪い」「コイツはズルい」「ソイツはこんなに下衆だったので、どんな奴なのかプライベートも含めて徹底的に暴くことにしました」こんな文脈の内容でごった返している。政治もマスコミも国民も常に自分以外の誰かを悪者にしていたい。

眼前に迫る重要な課題などは見向きもせずに、なるべく大多数のプレーヤーの心が痛まない共通の敵を見つけてはひたすら糾弾し続けて踊り明かしている。

「憎たらしい」「けしからん」「ざまあみろ」に喜々として飛びつくのは紛れもない私達なのだ。我々国民は本当に必要な政治判断や情報には興味がない。

「けしからん」と憤慨する快楽

報道側における「ウケ狙い」の一番顕著な例は炎上コンテンツだ。不祥事とそれに対する「感情的な糾弾」を ”召し上がれ” とセットで提供すればいい。

頭のいい人も悪い人も、平凡な人でも、毎日虐げられている人でも、知識不要で誰もが「正しさにコミットした」という快楽を享受できる夢のコンテンツだ。

野次馬根性だけで不祥事を糾弾し続けたほうが簡単に数字が取れてしまう。社会や国政で問題となっている点を丁寧に取り上げる至極真面目な番組や記事があったとしても、私達国民がついうっかりクリックするのも、ついチャンネルを合わせてしまうのも、リツート&いいねするのも不倫の話題だったりするのだ。

見た者の各々の道徳観で一方的に裁ける内容であればなおのこと良い。実生活では普段希薄な連帯意識までもが獲得できてしまう。家族や地域やネットで瞬間的に感情の共有ができるのだ。一部の人々にとっては麻薬と言ってもいいだろう。

本来、事実関係の整理で十分なはずなのに、延々と感情的に演出された情報を垂れ流している。もしくは事実関係の整理と称して、不要なまでの過剰な情報や推測や憶測を並べ立てる。その全てが炎上させるための燃料だ。

人を怒らせれば怒らすほどカネになる。そして我々はそんなことも大して理解していない。意味のある情報がほとんど含まれていないとも気づかない。一過性の感情だけが刺激されている。

花を踏んだやつを殺せ

SNSを見てもイヤというほどわかる。どれもこれもわかりやすくパッケージ化された感情がベースになっている。特にTwitterは2コマ型の明快で簡潔な内容が主体となるため、政治とは最悪の相性の良さを発揮する。この界隈ではコミュニケーションの手段やインフラが分断装置になっている。(※1)

国民が政治の本質に興味がなければ、当然報道のレベルは低くなるし、選挙は理念や政策とは無関係なただの好き嫌いや人気投票になるのは必然だ。これでは単に知名度があるか、もしくは詐欺師のように振る舞う人間が選挙に当選するはずだ。その結果、実際に執り行われる政治も程度が低くなっていく。さらに、その程度の低い政治と報道によってもっと国民が愚かになっていく。

人々は何を望んでいるのか

マスコミ側はPVや視聴率といった形で瞬時に結果として現れるため、国民の嗜好がよりダイレクトに反映されている。すなわち、大変にありがたいことに彼らは我々の知能レベルにピッタリで、私達国民が見たいものを見せてくれているにすぎない。

乱暴に言えば、愚かな国民に好かれるために、一生懸命程度の低い政治と報道がなされていることになる。

逆から言えば、真面目に程度の高いことをやったところで報われないのだ。誰も興味が無いのだ。見ないのだ。儲からないし当選しないのだ。

寝ている方がマシ

日々の娯楽や個人の嗜好は当然自由だし結構なことなのだが、政治と報道に対しては常に冷静で真摯に向き合わないといけない。そもそも政治に興味がない人は仕方がないとはいえ、少なくとも芸能ニュースと見分けがつかないような状況にしてはいけない。

社会に必要なことはなんなのか。それらの優先順位はどうすればいいのか。これらが大事なのであって、犯人探しや悪人裁きに踊らされ、貪るようでは寝ているよりたちが悪い。比喩や皮肉ではなく寝てる方が遥かにマシなのだ。

本来それら悪事やスキャンダルについては事実関係を明らかにして粛々と次のフェーズに移行させればよいだけだ。どうしても興味があるなら、少なくとも第二の悪人を生み出さないような制度や仕組みや手続きを考えるくらいのことはしてもらいたい。でないと教訓にもならない。

「なんて奴だ」と倫理観や道徳心に燃えて憤慨し、それと同時に自身のストレスを解消する道具に使うのであれば、社会にとってもう迷惑でしか無い。そういう人には勧善懲悪の時代劇を見てもらいたい。

もう一度。どんなに正しい義憤だとしても憤慨しているだけではもはやそれは社会的には害に近い。特に情報が連鎖するインフラが整ってしまった現代においては、その憤慨の集合体ほうが罪深い可能性すらある。

ゆっくり沈み込む社会

そんなことを長らく(※いつから?)やっていたお陰で、どの立場の人間も徐々に「本来あるべき姿」を忘れてしまった。本分から逸れて「あえて」ウケを狙ってやっていたことは、何年か何十年かをかけて世代もかわると、この状況が現在の「あるべき姿」にすり替わる。

従って「程度の低い政治と報道」をやっている自覚はもうないし、それこそが彼らの本分だとして胸を張って仕事を遂行しているはずだ。我々は我々で「程度の低い政治と報道」を真に受けて更に品のないヤジを大声で飛ばしているのだ。そしてそれが「正義」だと思ってしまっている。

政治家もマスコミもあなたも私もみんな。少しずつ気づかないうちにそうなってしまったのだ。

例えば、特定の個人や政治勢力を大っぴらに嘲笑したりする気分も理解はできるが、それは本来的な関わり方ではない。こんな当然のことすらも私達は既に失ってしまっていることに気づく。

現状においてこんなことを言ってももう仕方ない面はあるが、どこかに気に止めておく理性と品性は持ち合わせるべきだろう。

もうガチャを引いてもガラクタしかないのか

そういう理性と品性のない人が国民の大部分となった結果が今の現状だ。私達みたいな浅はかな連中がそのまま政治や報道をやっていると思えばいい。既に「立派な人」はレア中のレア。SSRとでも言えばいいのか。

政治家の間で不適切な言動やスキャンダルがオールシーズンで発生するのも、偏向報道や事実誤認や見識のかけらもない報道が常時発生するのも、彼らに基礎的な素養すら備わっていないからだが、ソイツが特別にけしからんというわけではない。もうそんな人しか我々国民には残されていないという現実を受け止めなければならない。

さらには、SSRだった「立派な人」もしくは「マシだった人」を後ろから銃で撃ち殺している可能性もあるだろうし、「立派なだけ」ではもう生き残れない社会に変容させたと言ってもいい。

この現状が深刻だとすれば、「立派な人」は我々からは正当に評価されない可能性が高い。「立派な人」ほどまるっきり焦点が当てられないか、焦点が当たった場合は変人扱いされるか、どの思想体系に属するグループからも敵視されるといった現象が予想できる。

なぜなら「立派な人」は全ての、もしくは大部分のプレーヤーにとって耳の痛い本質を突くからだ。実際、何十年と経済成長が止まった我が国では、誰も得をしない政策が本来一番必要になっている局面は多い。この場合は敵視されるか黙殺される。または思慮の次元が違いすぎて会話として成り立たないはずだ。この場合は変人扱いだ。

そう思えば、この社会全体の体たらくは不思議でもなんでもないことがわかる。むしろ当然の帰結だ。そういう観点で見渡すと我々は見当違いなほどの高望みをしていることに気づく。我々国民一人ひとりの無知さと下品さが、政治と報道へ「地続き」になっていることを忘れてはならない。

これを読んでくれているあなたは違うでしょう。そうでしょう。知ってますよ。

残念なダークマター

今広がっているこの状況は、我々国民全体が持つ「残念なダークマター」とでも呼ぶべき負の性質に、政治家やマスコミが長い時間をかけてお互いが循環しながら相互作用した結果で、水が低い方へ流れるのと似ていて、どうすることも出来ない自然現象のようにみえる。

この連鎖は世代をかけてゆっくり引き継がれ、更により低い方へと重力に負けていく。エントロピーの概念にも似ていて、ポテンシャルの高い状態から低い方へとただただ不可逆的に流れていく。(※2)

流石にマスメディアや政治家が「国民が馬鹿だから今現状こうなってるんです(笑)」とは口が裂けても言えないので、このような論点が湧き上がらないのは仕方ない。言った人間から二度と再起できないくらいに袋叩きにされて社会的な死刑を喰らうのがオチだ。ただ誰も言わないからといって我々も調子に乗ってはいけない。謙虚に冷静に現在地を見つめる必要がある。

偉そうな反省と同情

自分でも驚くほど自分自身を脇において、随分と乱暴に国民全体を軽々しく蔑んだ内容になってしまった。しかし私は愚かな国民の一人だと胸を張って言えてしまうところが悲しい。お菓子と睡眠を貪ってゲームをしているだけで何のコミットもしないという点では、なかなかたちの悪い部類のはずだ。

ただここでも一方的に我々国民自身を蔑むのも違うのだ。そう。この状況には仕方ない面がある。政治家もマスコミも一方的に責めることが出来ないのと同様に、国民にも同情の余地が残されている。歴史的で構造的などうしようもない問題がある。

だからといって救いのある話ではないし、その同情の余地のお陰で何かが免責されるわけではない。愚かさを肯定するものでもない。

このあとの文章は私にとっては同じ趣旨だが、見る人によってはガラッと変わるように映るかもしれない。

私達は困ってない

さて、国民に対する同情の余地とは何か。ある程度愚かでも仕方がない理由とは何か。

簡単に言ってしまえば、大多数が特に困らず飯を食えているような期間が長く続いたのだ。「いいや困っている」という人は、地球規模のマクロな視点で考えてほしい。そこは申し訳ない。

「困っていない」をもう少し踏み込んで言えば、その根本には主権について深く考える必要もなく、その機会も奪われてきた経緯がある。運がいいのか悪いのか、効力や良し悪しは別として、強大な他国にその軍事力を依存してきたことと、その関係性がこの構造を生んでいる。

具体的に言えば、自国の権力がとんでもない政治的・軍事的な暴走をしてしまうとも思ってない。他国の権力が自国に牙を剥くとも思ってない。もし牙が剥かれてもヤベェ事にはなると思ってない。「ヤベェ!」と思ったとしても自国でどうにかするというよりは、「同盟国がなんとかしてくれるんでしょ」という話になりがちだ。

こういう気分になってしまうのは、我々が仏様なわけでも、天性の呑気さを持つ国民だからでもない。ましてや憲法の条項のおかげでもない。

保証された平和

強大な他国に(実際に守られるかどうかは別として)守られているからだ。「包囲」されていると言い換えてもいい。これでは個人も国家も自立する必要が無い。ある意味において相当な幸運に恵まれている。現在日本が紛争地帯でないのも、休戦を含む戦時でないのもその幸運の一つだ。

これが悪だと言うつもりもない。事実がそうなっているというだけだ。実際にこの状況下においてその恩恵をもろに受けて、我々はあまり何も考えなくても平和であったし、ある時期においては経済的に天下を掴みかけたのだ。このレジームで相当な「得」をしてきたし、今もなおオトクなのだ。そして世代を重ねてきた。

現実を見ることを免除されている

国家としていちばん重要で、全ての始まりとも言っていい「国土の安全」を考えることが大部分免除されているのだ。だから、大多数の国民にとって政治や自治を自らの問題として考える必要性も無ければ、それを育む下地もない。わざわざ面倒で危険な現実を直視する必要がない。

これではどうやっても世界と社会を理解しようとする動機が保てない。理解がないのであれば責任を負っている自覚などは持ちようがない。馬鹿だから理解や自覚がないというわけではない。そんな理解や自覚をする必要性がどこにもないのだ。

こんな国民では、政治課題について場当たり的に乗り切っても問題にならない。最悪乗り切れなくても問題にならない。誤った舵取りだったとしても本質を指摘できるメディアがないのだから仕方がない。

この国では本質に迫る報道は見向きもされないのだ。だからそもそもそんな立派なメディアは成立しない。延々と茶番劇を報じるメディアしか生き残れない社会なのだ。

外交面でいえば専門家は別として、現実を知らなければ国際政治の力学や軍事的な平衡感覚についてどうしても甘えがちな理想が先行することになる。

それでも国の領土がどこかに接収されることもなければ、滅亡することもない。何も考えなくてもなんとかなってしまうのなら自浄作用は働かない。となれば長期的な視点など持ちようがない。誰かを出し抜いて今一番ズルをしたやつが勝者となるだけだ。それでは社会は沈み込んでいくしかない。

実際は既にどうにもうまく立ちいかなくなっている歪みは至る所にある。ただ依然として大多数が困っていないので黙認、黙殺されたままだ。修正不可能となった問題が各所で沸き立ち始めて、全てが手遅れになっていても気づくことすらままならない。

この状況は同情してもいい。そう思うのは私が日本人だからだろうか。本音を言えば構造的な問題だと「信じたい」。しかし世界中の人々はほとんど同情しないだろう。彼らから見れば子供じみているし、肩をすくめて呆れてしまう姿が想像できる。相当に奇を衒った人だけ同情してくれるかもしれない。

少しの脱線

少し話が逸れるが「日本は国際社会でリーダーシップを」などとよく聞く。しかし上述の状況ではあり得ないのは明白だ。逆になんの夢を見ているんだと問いかけたくなる。

自立できていない国やその国の人の話を聞くわけがない。子供みたいなものだ。もっと悪意のある言い方をしてしまえば金持ちのボンボンだ。

簡単に言えば、他国からすればアメリカと話をしたほうが早いし確実だ。実際にロシアなどは揺さぶりも含めてたまにそういうことを正式の場で発言する。日本の領土問題ですら日本に決定権があるのかと彼らは言う。実際、ない。

そんな国が国際的な影響力を発揮したところでその責任を取れるわけがない。頼れるわけがない。「頼りたくない」などという積極的な忌避行動にすらならない。意地悪でもなんでもなく無意識に視界から消えるはずだ。あなたでもそうだろう。「お金あるなら出してね」という扱いになるのは仕方ないのだ。しかも金はなくなってきている。

夢を見すぎているし、内外問わず「おだてられている」と言えばいいのだろうか。冷たく言えば世間知らずということになる。流石に外務省や国際会議に出席する大臣クラスなどは手慣れたもので、笑顔のまま顔面に辛酸を浴びているからわかっているだろう。

夢の国

夢といえばディズニーランドのような夢の国がまさに国単位で存在しているのが日本(一部地域を除く)なのかもしれない。都合の悪いものや、見たくないものは見なくて済んでしまう。バックヤードについては無かったことにされるのだ。もはや「バックヤードの存在すら知らない」と言ったほうが適切かもしれない。

これでは真面目な政治や報道に関心を持つインセンティブが用意できない社会が構築されるのは自然の成り行きだ。まあまま仕方のない話だ。皮肉でもなんでもなく本当に仕方ない。

そうだ。ここまでは仕方ない。誰も悪くない?ほうほう。さてどこまでこの残念で仕方ない社会が続くのか。

ポップカルチャー

また少し脱線するが、ポップカルチャーが日本から世界へ向けて流れている現状もこれと無関係ではないだろう。地に足のついてない我々であるからこそ出来ることなのかもしれない。

現在の我々の大衆文化は、現実や自立とは無縁な社会で育った文化と言っていいだろう。それによって生み出された幻影は、他の文化と一線を画し、まるで現実と見紛う夢の虚構となって世界へ伝播しているのだ。

現実逃避力がずば抜けて高いのではないだろうか。文化自体に罪はないだろう。

持続可能な夢の国は存在するのか

話を元に戻す。どこに同情の余地があるかはわかった。随分と過保護な現状では構造的、歴史的に自立の必要性がないし、国内でおままごとをしていてもなんとかなってしまうのだ。それではそもそも自立を目指すべきなのか。

当然、自立する合理的な理由がなければ別にこのままでもいいという考えもある。どんなに歪んでようが子供だろうが、夢の国が滅亡せずに存続可能なのであれば、それはそれで結構なことだとも言える。世界史的には瞬きほどのつかの間とはいえ、事実70年余りの間存続してきたのだ。とりあえず人間ひとりの生涯くらいの時間は経った。この間を世代で言えば3、4世代くらいは交代しただろう。

「他国依存」と聞けば印象が悪いのは確かだが、「自国のほうが上手くやれるのか」と問われれば元気よく返事をする自信もない。繰り返しになるが、なにせ70年以上もおまかせしてここまできてしまったのだ。

踏み出すことへの恐怖心が消えることはないし、猶予期間がながければ長いほど登るべき壁は高くなるはずだ。

では、今後どちらに任せたほうが100年、200年先も幸福な社会が存続しているのか。その判断は結構難しい。というか予想など無理だろう。自国に任せた途端、暴走や滅亡をする可能性だって十分にあるし、いざという時に他国依存では何も守ってくれないということだってありうる。現在の同盟国が暴走や衰退や滅亡をする可能性もあるわけだ。

トランプ氏の登場は示唆的だ。軍事力の大部分を他国に依存していて「本当にいいのだろうか」と誰もが一瞬立ち止まりたくなるだろう。

良し悪しは別として第二次大戦後アメリカは覇権を握り、それなりに世界標準の中心を歩んできた。だから日本がそのまま追従してもそれほど大事にならず、むしろ誰にも相手にされなかったし、悲しいことにそれで平和が担保されていた。今後もしばらくは続くだろうが、いつまでも続くとは限らない。

戦略的な夢の国

もし、したたかで戦略的な判断の上で夢の国であることを自ら選択し続けられるのであれば、一定の評価を与えてもいい。引き換えに様々な権利や責任や尊厳を放棄することにはなるが、余りあるメリットがあるのも事実だ。

不勉強者の邪推で恐縮だが、第二次大戦直後の日本の知識層も似たような認識だったのではないか。そしてその選択肢は、親や子供や兄弟を殺された彼らにとって相当な屈辱のはずだ。それでも選択せざるを得なかった。

その決断のおかげで我々は平穏で経済的に豊かな社会を築けたし、欧米に対して敵対心などなくむしろ友好的で礼賛するほどになった。ただ苦渋の選択を迫られた彼らに誤算があるとすれば、たった数十年で当時の覚悟と決意がこんなにも綺麗に消えているということだろう。

事の本質から逸れた茶番に夢中な国民に驚くと同時に失望し、もしかしたら自分たちの選択は誤りだったと後悔するかもしれない。はたまた経済的な大成功と和平に安堵するのかもしれない。聞いてみたい。

損得を超えた価値は存在するのか、共有可能なのか

夢の国に浸っている我々「自ら」が脱却と転換を目指すというのは、相当に難易度の高いクエストになる。主権が様々な形で侵害されても我々は深い眠りから目覚めないという強い睡眠薬を飲んでいるのだ。

現状は一部の地域を除いて「楽」で「得」なのだ。かなり強力なメリットだ。だから転換する場合は、それを乗り越えて得られる損得以外の価値があるという「志」でしか動機が求められない。

現代においてはドライでイデオロギー中立なビジネス的価値観は切れ味もよく、実際に理にかなっている場面が多数だ。そういった昨今で損得を超えた価値を見出すのはなかなか難しい。(※3)

自らで選べないのであれば、どこかで選択を迫られる日が来ることも考えなければならない。

その時我々は、もしくは我々の子孫は、夢の国から目覚めて動物が生きていくという血生臭を現実として受け入れて地に足を下ろすのか。それとも暖かい布団の中で二度寝三度寝すらも貪った虚構で目覚まし時計をも投げ捨てるのか。またはどちらも選択せずに永遠のモラトリアムで欺瞞に濡れた藁でもつかむのか。

いきなり素晴らしい世界が開幕するという幻想

なるほどわかった。よし、それならば脱却と転換によって冒頭に述べたような程度の低い政治と報道がなくなるのか。国民は皆賢くなるのか。そうか、全部解決するのか。素晴らしい。ならば早々に自立すべきだろう。ウンザリすることすら疲れ果てた現状に親指を突き立ててグッバイできるんだろう?

残念だがそんなに上手く行かない。ただ少なくとも眼前の茶番劇は終わる。一段ステージが引き上がるのは間違いない。しかしすぐに次のステージの茶番が始まるのだ。

そしてこの茶番のほうがもっと根も業も深い。

言い換えれば「現実」が始まると言っていい。これは覚悟しておく必要があるだろう。くだらない茶番がイヤで自立して手に入れるのは厳しい現実となるはずだ。

事の本質に一歩近づくのだから当然だ。本来的には歓迎されるべきことだろう。しかし齢70を超えたピーターパンには少々荷が重いかもしれない。

明日食べるべきスイーツ

常識的に考えて自立すべきなのは明らかだが、「明日から」どちらを目指すべきなのか正直私にはわからない。シュークリームの中でプカプカ浮いている日々を過ごす我々に対して、どう道筋を付けていいのかもわからない。

それに大福だろうがプリンだろうが、その中で最適化を図って必死に毎日を生きているのも事実だ。嘘偽り無く忙しいのだ。よくわからんが新しい問題を持ち込むのはやめてくれ。という気持ちもわかる。

日本の限界とホモ・サピエンスの限界

実際には「今のままでいい」という人がほとんどだろうし、「自立します」という選挙公約を掲げて当選するとも思えない。それに私も少し眠くなってきたし、自分が生きている間が平和で飯が食えるなら、難しいことは抜きにして暖かい布団で夢を見ていたい。

加えて、たとえ夢から醒めようが自立しようがビンタされようが、必ずしも素晴らしい国民と国家になれるわけでもないのは、他国を見ても嫌というほどよくわかる。これは中々に歯ごたえのある虚無感で、純粋な人なら絶望してもおかしくはない。それなら今のままでいいじゃないかと。

程度や舞台の差はあれど皆それぞれ与えられた局面で、どの国もどの社会も同じような欺瞞に溢れた泥仕合や思考停止を繰り返しているわけだ。こんなんじゃあ「人間とはそういうものだ」などというニヒリズムの地下牢に閉じこもるほかない。

私達の平和思想

しかし、少なくとも自立する必要が「あるのか・ないのか」について、メリットデメリットを並べてペチャクチャ喋る必要はあるだろう。今私が望んでいることはこれだ。

「もう二度と狂った国家になるなよ」という国際社会(主にアメリカ)の意図で設けた憲法やその他様々な制度は、当初の思惑通りここまでその役割を果たしている。当時の国際社会からみれば、強すぎるほどブレーキがかかる仕掛けにしておくことが好ましいのもわかる。

その結果、従順でやや思考停止的な平和思想が我々の国には根付いた。平和を願うことは正しいが、願っているだけで十分なのは子供のうちだけだろう。支払っている代償を正しく認識しないといけないし、何に基づいて今の日本の平和があるのかを見定めないといけない。そうすればどこに歪みがあるのかもわかる。置かれた現実と発生した歪みが解らなければ悲劇は繰り返される。

現実を知らなければ、ともすればヒステリックで原理主義的に平和を唱えることに終始する。戦争を体験したいわば「現実を知ってる世代」だったとしても、親や子供や兄弟を無惨にも目の前で失えば、冷静に俯瞰してくれという方が酷だろう。それは誰だって祈りたいし泣きたい。言葉の前に自然と涙があふれてくるはずだ。純粋に誰も不幸にならないで欲しいと願うだろう。

祈りと政治

これらの反応はみな「祈り」なのだ。祈りや願いは重要だが、現実的な政治とは切り離さなければならない。「切り離す」が少々きつく聞こえるとすれば、祈りは「手段ではない」と言えばいいだろうか。財政問題をひたすらに純粋で無垢で輝くような瞳と心で「好転して欲しい」と祈れば黒字になるかと言えば、そうはならない。手段が必要だ。

祈りや祈りに近い精神が不要だと言っているのではない。混同してはいけないのだ。我々は概ね無宗教ということになっているが、この手の祈りが得意なのだ。「祈り」が得意といえば聞こえはいいかもしれないが、実際には「手段」について無知なのだ。だから祈るしか方法を知らない。だから祈りが手段だと思っている。同じ意味で言葉を変えれば「現実」を知らないのだ。

平和を構築するために我々はどんな手札があって、もしくはどの手札が無くて、何とトレードオフになっていて、どうすれば実現可能かを考えることのほうがもっと重要だ。ここでいう「手札」は何も軍事的なオプションの話だけではない。外交と常にワンセットだ。

これは世界中の大多数の国々が様々な枠組みのなかで、日々現実と向き合ってやってのけていることで、国家としてどの国も当たり前にしている行為なのだ。

しかしこれが自国の話となると急におかしな論調になってしまう。考えることすら危険だと感じてしまうのだ。

そんなにも夢の国の中で無垢な子供で居続けたいと願うのか。純心であれば正義だとでも言うのだろうか。そうではない。「真面目に平和を考えよ」という話だ。

ここまで使ってきた「祈り」という表現は最大限に好意的に捉えた場合の言葉だ。残念ながら「現実逃避」のほうが意味としては近い。

この通り、我々は凄まじいほどに我々に自信がない。変に自信満々でも困るが、自国の舵取りで適切に「自国と地域の平和と安定を守る」という自負がどこにもない(実働部隊を除く)。むしろそれは余計に戦争を招くと言われる。それはある意味仕方ない。強烈な反省から始まった日本の現代史は、今も変わること無く軍事力の大部分を他国に依存してきたのだ。自分たちに自信がある訳がない。

まずは免除免責国家という自覚から

戦争や紛争はもう二度と御免だ。それは当然だ。だからといって考えることを放棄して祈るだけで現実逃避していて許されているわけはない。

それでも無条件に平和を祈りたいのであれば、アメリカの核とその軍事力と駐留している部隊と基地に感謝したほうがいい。そのほうがよっぽど現実を理解している。この平和は嘘偽り無く彼等のお陰で成り立っているのだから、現状において本来的には我々国民は米軍(と自衛隊)に最高の敬意を払うべきだろう。

平和を心から願っていながら米軍やその基地を好ましく思えないという慢性的な自己矛盾を抱える日本はこの辺りを真面目に考えなければならない。ちなみに、自衛隊を米軍並みの軍事力にする必要が有ると考える人であればそれは矛盾していない。もしくは突然自分の家に先制攻撃の核ミサイルが降ってきてもよいという人も矛盾していない。

今は、主権と人権の一部を差し出す代わりにアメリカの核と基地によって平和が担保されている。このあたりに不平等や不均衡性、地域格差があるので問題が複雑にみえるが事実はそれほど難しくはない。

歴史的文脈についても知らない我々の世代にとって平和とは、「誠実に祈るだけで」もしくは「何も考えずとも」実現しているように見えてしまう。しかし実際は様々な取引と犠牲と権利放棄の上で平和が保たれているし、様々な兵器と人命によって安定がもたらされていることを忘れてはならない。

え、ちょっと怖いっすね。戦争でもやるんスか?

この辺りの論点になると浮上するキーワードがある。「なんとなく不安」「こわい」「子供が戦争に」このあたりはよく耳にする。手のひらを返すようだが、実はこの感想はそんなに間違っていない。

この感覚を嘲笑ってはいけないし、あなたも強がってはいけないし、慢心してもいけない。正しい反応なのだ。自立とはこの感情と表裏一体のはずだ。自立した瞬間から、もしくは自立を目指した瞬間から、この不安に対して逃げること無く永遠に取り組む必要がある。

逆に「そんな不安は一切不要です」という奴がいたら双方の論点がずれているか、または詐欺師だ。

自立とは自国の軍事力と外交努力によって「真剣に和平に取り組む」ことにほかならない。それは国民一人ひとりに不安をもたらす。具体的には、だいぶ上のほうで述べている「自国の暴走」と「他国の脅威」が主な不安要素になる。だから「こわい」という感情は自然だろう。

更に噛み砕けば、全てではないが以下のようなものに分解できる。

  • 自国が他国に戦争を仕掛けてしまわないだろうか
  • 他国に攻め込まれるんじゃないだろうか
  • 自分が、家族が、子供が犠牲になるんじゃないか
  • 自国の優秀な兵士が大量に死ぬんじゃないか
  • 軍事的な国際貢献で命を捧げる必要があるのかないのか
  • 他国を必要以上に刺激してしまうことはないだろうか

繰り返しで恐縮だが、これらの不安と課題に真剣に向き合い政治に対して真摯に考えることこそが自立なのだ。逆に言えば、今まで経済ステータスに全振りしてだいぶ「楽」をしてきたのだ。これらを本格的な脅威としてそこまで真剣に考えなくて済んでいたのだ。誰も肌身に感じなくて済んでいたのだ。まさに夢の国の住人と言えるだろう。

地に足をつける必要性

本来は、自立した国家ならこれらの不安や課題を嫌でも肌で感じることになる。真剣に考え続ける必要がある。メディアや国民が問題点の指摘や懸念を表明できなければ、時の政権がとんでもない間違いを犯すリスクをチェックできないし回避できない。

間違いで国土を失い、巨額の金が無駄に投じられ、多くの優秀な若者が死に、家族や自分の頭の上に核弾頭が落下するとなれば、誰もが「何が正しいのか」「何が本質なのか」ということについて考えざるを得ない。

これらを考えなくていい日本はかなり幸運なのだが、今後永続すると思ってはならない。少なくともこの幸運を近現代史的に整理された上で意識されるべきだろう。

自立がもたらすリスクを認識することで初めて政治の本質が問われてくる。ジャーナリズムの価値が問われてくる。憲法が意味をなしてくる。それらに連続した様々な社会の問題について真面目に向き合う必要性も出てくる。誤った舵取りに対して指摘できる能力がなければ「国が終わる」という緊張感が発生する。危機感が自らの主体的な感情として認識される。

そのどれもがないと「こんな感じ」の国家が出来上がるという例が日本だろう。批判的に述べたが、逆に一方で「これほど恵まれた国もない」という評価も頭に入れておいていい。

現実と夢の境界、自衛隊

したがってそのような緊張関係のない私達の国では、我々国民は政治と報道に対して本質も価値も「問わない」という図式になってしまう。メディアがどれだけマヌケだったとしても別に誰も困らない。政治がマヌケだっとしても気づかない。政治と報道が用意した茶番やウケ狙いや炎上案件に乗せられて、なんの進捗もないエレクトリカル・パレードを24時間やっている。

ただそのしわ寄せはどうしても実働部隊周辺に出てくる。自衛隊と米軍基地に表れる。直面する現実と、夢うつつな国民との乖離がそこに表れる。この辺りは大手マスコミでも報道するため、かろうじて我々が知ることが出来る少ない現実の一つだ。

どの道で生きていくのかという覚悟

さて、当然だが前述の不安(自国や他国の脅威)が自国単独では払拭できないという判断が合理的に下せるなら、自立すべきではない。夢と現実の間に様々な矛盾や欺瞞や犠牲があったとしてもだ。

「日本人は目を離すとついうっかり戦争を仕掛けてしまう」と言うなら、そんな国は絶対に自立してはいけない。自衛隊を軍隊として明記した途端に、突然東アジアにズンズン進軍してしまうというのならそんな国は滅んだほうがいい。

または、どうやっても他国の脅威を払拭できないなら自立など出来ない。当然、現在の一国依存ではなく、複数国間での安全保障を考えなければ自立とはいえない。

「自立は難しい」という結論に至ったとしてもそれを合理的に判断できるならある意味賢いのだ。判断の結果は悲観してもいいが、その判断自体とそのプロセスに悲観する必要はない。その道で生きていくという覚悟もまたそれなりに重いのだ。敗戦直後がそうであったように。

自己矛盾を欺瞞で何十年もカバーした結果

この軍事的、歴史的構造の影響によって、何と言っても国家として自己矛盾を抱えすぎてしまっている。継ぎ接ぎだらけと言ってもいい。国家に矛盾やダブルスタンダードや本音と建前は、必要悪な面はあるにしても、もっとフラットに現実に沿った、地に足の着いたものにすることは可能なはずだ。

国家的な自己矛盾を政府や官僚、マスコミや国民自身が紡いできてしまった。何十年もの時を経て欺瞞が欺瞞でなくなってしまった。その結果、各所でくだらないレベルの議論で白熱してしまっている。まるで時間そのものをレベルの低い議論とノイズで塗りつぶすかのように。頭のいい人たちはこの辺をなんとも思わないんだろうか。

事の本質に全く迫れない政治(と行政)と報道になれば、当然不必要で非合理的な政策や判断や解釈が横行する。正論を言った奴は馬鹿にされるか、空気が読めないと言われて梯子を外されるのだ。

問題を誰もチェックもできないし、チェックできたとしても是正する勇気もない。そもそもチェックする能力や見識がない。もし幸運にもチェックが機能しても賛同が得られる組織や社会や国民でもない。

これでは殆どの場合、誰も幸せになれない不条理な結末を迎えることになる。振り返ってみたら「どうしてこんなマヌケな判断がまかり通ったのか」と誰もが思う自体に直面する。そして当事者は「その時はそうするしかなかった」と誰もが言う。何度見てきた光景だろうか。

当事者、関係者たちが特別にマヌケなのではない。特別悪人なわけでもない。何度も言うようだが、むしろ我々よりは優秀な人々なのだ。彼等はこの「質の低い社会」においての最適解を選択したにすぎないのだ。

誰も不思議に思わない。誰も知らない。気づいたときには手遅れだ。「手遅れ」だと認識できればまだ良い。「正しい」と思っていたらどうだろう。最悪だ。だが毎日起きている。

その解決策が大規模な脱却と転換ではなくとも、一つの反省すべきストーリーとしてさらけ出すことで、緩やかに前進することはいくらでもあるはずだ。全員が信じたい嘘や誰もが見てこなかった現実を一つずつ剥がしていくのは相当に大変なことだが、やらないでいいわけがない。

おわりに

転換する場合、恐らく経済的にはドマイナスだろうがそれを超えた価値があるのかないのか。そもそも真っ当にやり遂げることが出来るのか。

現状を是とする場合は、払っている代償や犠牲と釣り合っているのか。夢を見てもらい続けるのか、ある程度現状認識をしてもらうべきなのか。

まずは各種カードをテーブルに並べて話すことに意義がある。隠し持っている手札があってはいけない。密約が密約のままでは議論の意味がない。特に日米合同委員会の内容はオープンにされなければならない。

繰り返しになるが、様々な要素を勘案した結果「今のままでいい」という結論が得られるならばそれでいいのだ。そしてその議論の過程は広く知らしめるべきだしそこに価値がある。まずそこから始めなければならない。

しかし、伝えるメディアも受け取る私達も冷静に読み取る能力はすでに無い。

この文章が特定の個人、もしくは何らかの勢力や政党などを中傷しているように見えたり、逆に讃えたりしているように見えている場合は、残念なダークマターに他の人より重度に侵食されているかも知れない。

※1.もしかするとコミュニケーションが時間や地域を超えて瞬発的になりすぎると、理性は働かない方向に作用するのかもしれない。感情が最も高ぶるような言説が、必要以上に注目を集めてしまいすぎる。これは世界中で起こっていることも合致するだろう。

※2.ただ、この論調には注意も必要で、自分で言うのもおかしな話だが、この見方は人類特有のクセが多分に含まれているはずだ。何故か「昔のほうがマシだった」と太古の昔から人類は言い続けているからだ。単なる個人の知識の蓄積(徐々に社会を把握していくこと)と、社会の遷移とを混同してしまう面があるからだ。簡単にいえば「人類は昔から変わらず愚かで進歩しない」ということになる。

※3.とは言えこの社会の構成員は紛れもなく動物である人間であるため、一旦針が振れてしまえば、精神面や感情面が損得など軽く凌駕する。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

数式を埋めてください *