テレビはつまらなくなったのか

テレビが「つまらなくなった」と言われて久しい。様々な資料などを見ていると、1990年代初頭には既に随分と言われているようだ。人は過去を美化する癖があるので、テレビ黎明期の頃ですら言われていても不思議ではない。

先に述べておくと、今のテレビが昔に比べて本当に『つまらない』のかは、判断が難しい。しかしいくつかの要因によって、人々がテレビを見なくなったのは間違いがなく、少なくとも過去20年の視聴率や専有時間などのデータではっきりと示されている。今回はその要因を考えてみる。

※ジャンルは定めていないつもりだったが、主にバラエティー番組について述べている。

要因はたくさんあるが、個人的に気になったのは「テロップ」と「CMまたぎ」だ。これは「クイズダービーの感想」を書いていた時に感じたことである。

と、その前に、まずは視聴者がテレビから離れていった主な要因について述べる。「少子高齢化」や「予算(景気)」「ネット出現」「コンプライアンス」などの重要な要因を触れずに終えるわけにもいくまい。

「つまらなくなった」とする代表例

繰り返しになるが「つまらなくなった」のかはわからないが、以下のどれもが「視聴者を減らした主な要因」であるのは間違いないだろう。

少子高齢化

少子高齢化となり、主なターゲットが高齢者となりやすい。となれば自然と健康食品に健康器具、老眼鏡などの高齢者向けの企業がスポンサーとなる。

番組を見ても「こちらに向けて作られていない」感は拭えず、若年層や現役世代が見ても面白いと思うものは生まれにくい。起用されるタレントの年齢層も上がるし、内容が無難になったり似通ったものになる。これでは若い人から見る人は減っていき、先細りしていくほかなく、ゆっくりと視聴者数を減らすことになる。

BSフジで平日の帯でやっている「クイズ!脳ベルSHOW」を見れば嫌でもわかる。私達の方は向いていない。ますだおかだの岡田圭右氏は大変頑張っている。まもなく放送1000回に達する。

とはいえ、若いことが常に素晴らしいわけではない。単に若さが先行するだけでは駄作が量産されるだろう。おそらく過去の番組の中にもそんな番組は山のようにあるはずだ。

しかし新しい価値はそういった混沌から生まれる側面もある。実験的で前衛的な挑戦から生まれるものがある。意外性のある才能やそれらの邂逅が新しい時代を開く。新陳代謝は必要だ。

※少子高齢化は、現代の日本の負の側面のすべての元凶と言ってもいい。現実問題としては、日本の全人口が増加に転じるのは当面難しい。まずはとにかくアンバランスな人口分布を是正するよりない。全ての処方箋となり得るので、たくさんの子供が生まれる社会を目指すのが至上命題となる。もしくは少子高齢化と積極的に共存する道もあるのだろうか。

予算(景気)

失われた30年となり日本経済の失速は「失速」なのではなく、「これが平時」なのだとわかり始めてきた。というか「わからされた」。テレビ制作に割ける予算は大幅に減り、広告費もネットに抜かれている。

目新しいものは生まれにくいだろう。低予算・アイディア勝負で良質な番組もあるが、それは金のある時代でもできる。予算がなければ単に制約が増えるだけになる。

これでは野心的な人間は、自分の将来をテレビよりもネットに見出すのではないか。少なくとも分散はする。テレビを目指して入社する人物やタレントは、相対的に安定志向の人物になると邪推する。資金面は既に凋落しているが、人材面でも楽観できない情勢となってはいないだろうか。ネットからテレビへ輸入されるタレントはもう珍しくない。

ネットの出現

ネット(と携帯端末)の出現によってスマホを眺める時間が増えことで、単純にテレビに割く時間が減った。または、選択肢に上らないということになる。「若者の〇〇離れ」の原因は、「ネットの出現」でほとんど説明できる。暇つぶしの手段としてネットは現状では最強だ。特に雑誌はネットの出現で壊滅的な打撃を受けた。

コンプライアンス

ネットの出現は別の側面も持っていた。世間の意見が細部まで可視化されたことにより、「あるべき論」が大勢を占めるようになった。「まあいいじゃないか」という論調は「見かけ上」姿を消し、ルールと法令やマナーを厳密に遵守する風潮が世間を覆う。

これにより過去にはできたような派手で思い切った企画や発言が今では出来ない。昔では大して問題視されなかった出来事が、現代では失言やスキャンダルとなり、場合によっては一発退場となる危機感が覆っている。

都市化や社会構造の変化も手伝って、各人が近所の人々や親戚よりもシステムと直結した状態となった。自分以外が全て赤の他人となった孤立した環境となり、人よりもシステムを信じる(信じざるを得ない)状況となったことで、社会からおおらかさは消えた。

※おおらかさはデメリットもあるが、ここでは話が逸れるので別の機会にする。

社会の変化

今挙げたこれらの要因は説得力がある。「テレビはつまらなくなったのか」と問われれば、首を縦に振るしかないだろう。ただ、どの要因も基本的にはテレビ局や制作会社、スポンサーなどのせいではなく、ましてや視聴者のせいでもない。社会全体か、世界全体の問題であることがわかる。

したがって、個人や一企業が「何か努力をして視聴者数を回復する」というようなことは出来ない。言い換えれば、「いくら面白いものを作っても視聴者は増えない」となる。

個人的には「つまらなくなった」というよりは、「見る機会が奪われた」という方が近い気がしている。映画界が栄華を誇ったのちに、テレビ界に抜き去られたのと似ている。映画はつまらなくなったわけではなく、ある種一定の面白さを提供していたのだが、家で見られるテレビのほうが「近かった」だけだ。

簡単なテレビの歴史

ここでテレビの歴史を簡単に振り返っておく。この年表は今回重要ではないが、後学のために記しておく。

  • 1952年 松下電器産業(現パナソニック)が日本初の家電としてテレビを発売
  • 1953年 NHK、日本テレビが放送開始 その後数年で現在の東京の放送局は出揃う。
  • 1960年 カラー放送開始
  • 1967年 テレビ普及率はほぼ100%に近くなる
  • (1959年 明仁親王ご成婚や、1964年東京 オリンピックで一気に普及)
  • 1990年 BS放送開始
  • 2003年 地上デジタル放送開始
  • 2012年 アナログ放送完全終了
  • 2018年 4K 8Kテレビ放送開始

本題

主な要因は上記に譲り、ここからは細かいことをネチネチと書くことになる。「少子高齢化」や「ネット出現」などと比べたら大した要因ではないが、何かヒントは隠れている可能性はある。

今の番組は親切

ようやく本題。まずはテロップや文字情報について。

現代(2020年時点)の番組は非常にわかりやすく親切にできている。文字情報で常に補足されているおかげで、少し目を離してもすぐ追いつくことができる。テロップや画面隅の文字情報は「今何をしているか」を理解するのに役立つ。

テロップ

「どこのロケに来ているのか」や「出題されている問題は何なのか」などが常に表示されている。これはメリットが大きいはずだ。

それだけでなく、会話のやり取りも表示される。これも多分メリットのほうが大きいだろう。一瞬聞き逃したりしても、同音異義語の判読も瞬時にできる。知らない固有名詞もすぐにそれと分かる。

面白さの押し売り

しかし、コントや漫才のセリフや設定までもがテロップで出るとなると、究極の野暮行為にも見える。流石に私でも違和感は感じてくる。ただ、補足情報や会話のテロップと本質的に「何が違うのか」と問われると困る問題でもある。

文字情報で共通して言えることは、「要点や注目ポイントはここです」というメッセージだということだ。テロップがある箇所は「今重要な部分です」「この会話で笑ってください」という制作側の意図がある。

これが「笑いの押し売り」のような圧迫感を視聴者に与える側面はあるだろう。もしその番組が、そもそもつまらない内容であったり、視聴者の興味のない分野である場合だと顕著になる。興味のない内容にテロップや効果音や編集で目を引きつけようとしているならば、それらは輪をかけて「とてもくだらないものに映る」はずだ。

なぜなら『ここです』と「面白さを煽っておいて全くつまらない事」ほどつまらないものはないからだ。くだらなく見えるのはそういうカラクリだろう。

批判は耳にするが、なくならない

たしかに昔の番組を見てみると、そんな編集はほとんどされておらず、現代の文字情報は過剰なものに感じることもある。テロップを毛嫌いする人も多い。YouTubeにある古い番組のコメントでもよく見かける。「昔はテロップがなくシンプルで良かった」などは頻出のコメントだ。

しかし、本当に「邪魔で鬱陶しい」と言う意見が正しく多数であるならば、テロップは今の番組から綺麗サッパリなくなっていても良いはずである。テレビは視聴率に関わるなら機敏に反応するからだ。ところが情勢はそうなっていない。

私は、セリフのテロップや文字情報が増えていくこの構造は、囚人のジレンマに似た物を感じている。

囚人のジレンマ

テロップなどの情報を出すこと自体は、番組の分かりやすさに繋がり、視聴率に良い影響があるのだろう。どこか一つの局がやり始めて、良い効果が確認されれば他局もやるのは自然な流れだ。

最終的にどの局の番組でも文字情報による、分かりやすい番組で溢れることとなる。スマホなどによそ見をしても、トイレに行って帰ってきても分かりやすいだろう。

このようにして文字情報が増殖してきたはずだ。ところがこの状況は、テレビ全体の視聴率を下げているかもしれないという仮説である。

どこの局よりもわかりやすい番組を目指して作った結果、テレビ界全体の視聴者数を下げてしまっているのではないか。

テロップ

※文字情報が多すぎると分かりやすいのかはもはやわからない

わかりやすさの弊害

注意散漫でも視聴可能で分かりやすい番組作りに専念した結果、「目を離すと大事な情報を逃してしまうかもしれない」という緊迫感は薄れ、視聴者はテレビ自体を注意散漫で見るようになりはしないだろうか。これらが繰り返されることで「注意散漫でも視聴可能である」という認識が無意識で定着してしまったら、相対的に人はテレビ自体に価値を感じなくなってしまわないだろうか。

また、先に述べた「面白さの押し売り」と「徹底したわかりやすさ」はほぼ同義である。ここで述べている「わかりやすさ」は、難しいニュースをわかりやすく解説するのとは違い、誰もが知っている漢字にルビを振っている態度に近い。

表現としては「大衆迎合」でもまだぬるく、リテラシーの最も低い層に照準が合っている感がある。複合的に「くだらなさ」や「価値のなさ」を自ら誘導してしまっているかもしれない。

自分で言いながらまだ半信半疑の宙を浮いている。「わかりやすい番組にしたら全体的に見る人が減る」なんて事はあるのだろうか。うがった見方が過ぎるかもしれない。

CMまたぎのジレンマ

本題其の二。CMまたぎについて。

瞬間瞬間の視聴率を得る手法が増えたことも、また別の囚人のジレンマに拍車をかける。例えば以下のようなもの。

  • クイズなどの解答をCM明けにまたぐ
  • タレントなどが目をむいて大声を上げた瞬間CMに行く
  • 口元や重要な対象を?マークで隠して煽っておいてCMに行く

多分これらの手法は、我々が思っている以上に効果的だろう。数字で効果がないのなら(逆効果ならば)テレビ局は絶対にやらないはずだからだ。

CMまたぎ

※?マークと効果音で煽りを入れてCMに突入する。

これらについても囚人のジレンマの効果がはたらく。どこか他所の局がやっていたら、自分の番組でやらざるを得ない。CM突入時、CM中、CM明けの視聴率が低いとなるとスポンサーからも注文が付くはずだ。

しかしCMから帰ってきてみたら、本当にすごいことがいつも起こるわけでもない。煽った割には拍子抜けするような些細な結果であることはザラだ。ひどい場合は、引っ張った内容についてほとんど説明はなく、スタッフロールが流れ始めて番組終了となり、再びCMに即突入するような番組もある。簡単に言えば視聴者を欺いていると言っていい。

他局に負けぬよう、毎分の視聴率を上げるために様々な手法を開発し、うまく行けばその瞬間は視聴率が良いかもしれない。

しかしこのような小手先での視聴率稼ぎが繰り返されると、視聴者の信用を緩やかに失うのは必然で、テレビ全体の価値や信用は下がっていく。

全体のパイは失うとしても、自分の番組の今この瞬間の視聴率のほうが大事であるなら、ホントかどうかもわからない全体の不幸などは些末なことだろう。囚人のジレンマは加速する。

Googleの広告ポリシー

Googleの広告ポリシーが厳しいことは有名だ。誤クリックを誘導するような広告の配置を禁止している。これは「ネットのメディアとしての信用を失いたくない」というまっとうな意図が働いている。

広告を見せたいがために邪魔で執拗な広告がネットに反乱したら、広告への信用を失うと供に、ネット自体の価値も損ねる。Googleは当たり前のことをしているに過ぎない。

しかし現在の日本のテレビ局は、CMまたぎによる広告への誘導をことさらに狙っている。ネットに置き換えれば「誤クリック」を誘導しているのと同じだ。民放各社は自らの業界団体を通じてCM関連のポリシーを考え直してもいいだろう。

テレビ局は本当の囚人ではないはずだ。他局と意思の疎通が図れるのだから、囚人のジレンマにとらわれずに、全体の利益を真剣に考えたほうが良いだろう。

本当にテレビはつまらなくなっているのか

ここまでで、「高齢化」や「ネット」などの主な要因と、私が個人的に感じた「テロップ」と「CMまたぎ」について述べたが、「つまらなくなった」と断言するのはやはり難しい。複雑で計りようがない部分が多すぎる。

近年(20年以上)は、ほぼ真っすぐにテレビ全体の視聴率が下がっているので、見る人が減ったのは間違いないが、これでも「テレビがつまらなくなった」とは単純に言い切れない。

また、YouTubeなどに残っている古い番組などは、特別に面白いものが残っている事が多いはずで、強力なバイアスがかかっている。やはり単純比較しにくい。過去の貴重な映像は誰だって面白く感じてしまうものだ。特に当時を知っている人から見れば、懐かしい良い思い出の塊だろう。

冒頭部分で述べたように社会の構造が変わってしまっては何も比較しようがない。

映画業界と音楽業界

テレビの視聴者が減ったとしても、面白い番組は今も昔も変わらずあるんだろうと思っている。「どれだ」と言われると困るが、「比較はできないだけで存在はする」としか言いようがない。

人間自体に大差はないだろうし、脳自体は何十万年も生物学的に変化はないのだ。自分が生きているこの時代をことさらに特殊だ(つまらない or 面白い)とみなすことはあまり優れた発想ではない。

普遍性に傾注しすぎても何も論じられないが、その時代その時代で、面白いと思われることが、面白いと思われている人物によって成されている筈である。

日本の映画産業は1950年代が黄金期だと言われていて、過去の活気をとうに失っているが、面白い作品はいつの時代も作られ続けているはずだ。音楽業界も同じで、1990年代の隆盛は輝かしい。しかしその後は、映画業界や音楽業界が示してきたように「良いものを作れば取り戻せるわけではない」ということが分かっている。

どんなに隆盛を誇っていても、コンテンツの質が特に落ちていなくとも、アクセスの経路(社会の構造)が変われば人はそれに時間を割かなくなる。

細部に何かが宿る

冒頭部分で紹介した大きな要因(少子高齢化やネット出現など)については、業界としては手の打ちようがない。

しかし、本稿で本題として述べてきたこと(テロップ、CMまたぎ)があながち間違いでもないとするなら、テレビ自身が視聴者から夢中になる機会を奪っている可能性はある。細かい話ではあるが、工夫可能な余地が残されているとすれば、もはや細部しかないだろう。

個々の番組が生き残ろうとした結果、テレビ業界全体では信用や価値を失い、緩やかな衰退を自らが助長しているのかもしれない。これらを自助努力で回避できるのであれば、しっかりと腰を据えて考えることも必要だろう。

おわりに – 最後の抵抗

クドくなるが、テレビが過去の隆盛を取り戻すことは難しい。

不可抗力に近い「少子高齢化」「予算(景気)」「ネット出現」「コンプライアンス」については、殆どどうしようもない。

ただ「ネット出現」には対抗手段というか共存手段がある。radikoのように地域別に配信してしまえばいい。素人の暴論なのだろうか。地上波とネットで同時配信すべきだと思っている。

近年各社は、独自の配信プラットフォーム(HuluやTELASAなど)を有料で構え始めている。これはこれであってもいいのだが、民法各社、できればNHKも含めて、同一のプラットフォーム(同一ドメイン)上で運営するメディアが必要だろう。地上波の全番組をテレビと同時配信するべきだ。TVerはその準備段階なのだと信じたい。今のTVerは惜しい。

NHKが先行してテレビとネットの同時配信(NHKプラス)を始めたのは、主に受信料目的なので、民法各社と足並み揃える路線は潰えたかと思っていたが、TVerにNHKが参入したのは朗報だと勝手に思っている。

結局は分散することで体力負けしてきた。ネットと分岐し、多チャンネル化し、社会自体も多様化した。分散を避けるには「面白いものが全てここに集まる」という認知が必要だろう。若年層にとってYouTubeはそうなった。ニコニコ動画やその他有象無象は死に絶えた。

ニッチを狙う戦略は必要だが、ネットでは「一強」が圧倒的な支配権を握るのを、吐き気がするほど見てきたはずだ。「GAFAに勝て」とは言わないが、同じ轍を踏まぬようにしてほしい。

映画産業もテレビが始まりたての頃、テレビとの協力関係を拒否していた。看板俳優をテレビに出さなかったり、映画のテレビへの配信も制限している。勝てる戦だと思っていたようで徹底抗戦(五社協定)を挑んでいる。

音楽業界も同様で、日本の各レコード会社がネット黎明期にインターネットにものすごい拒否反応を示した。半ば無理矢理に独自規格を生み出しては批判を浴びたり、旧来の業態に固執したことで、音楽配信サービスなどを日本で生み出すことも出来ず、プロモーションの場も失い、後手に回ってきた歴史がある。

その結果、映画も音楽も国外の企業にマージンを支払うビジネスモデルが主流となってしまった。AmazonやNetflixなどによって傘下に収められているといっていい。テレビ業界はそれらよりはマシな舵取りがなされているが、大枠では同じ路線である。

面白いものを作る努力はもちろん必要だが、コンテンツが人々へ到達する経路を模索することも、それ以上に重要である。映画業界と音楽業界を反面教師にしていただきたい。ただ業界団体ほど権益保護が最優先で硬直化した体制はなく、新しい空気の流入はないと推測されるので、同情はする。

音楽業界の衰退については、「なぜ日本の音楽業界は衰退したのか」でネチネチ書いているのでよろしければご覧いただきたい。

また、本稿を書くきっかけとなった「クイズダービー」の感想も読んでいただければ幸いである。こちらはネチネチしていない。

 

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