「クイズダービー」の感想

近頃は「TBSチャンネル2」で再放送されている「クイズダービー」を録画しては見ている。リアルタイムでは視聴できなかった世代だが、不思議なくらい面白い。現在(2020年)やっているクイズ番組などと比べても遜色なく見ごたえがある。

ここではwikiや書籍などで調べたことを交えながら感想を述べる。クイズダービーのファンになってしまい、本もいくつか買ってしまった。


お化け番組だったクイズダービー

現在の番組と比べると流石に古臭いが、見始めると気にならない。逆に現代の派手なセットは必要なのかとも思う。

クイズダービーのセット

※初回は1976年1月3日、最終回は1992年12月19日で、全862回放送。

16年間続いたこの番組は、最盛期の3年間は平均視聴率が30%、最高視聴率は40%という今では考えられないほどの人気番組だ。

時代背景が異なるので単に数字だけでは現代と比較できないが、化け物級の番組であることは間違いない。


クイズダービーのフォーマット

フォーマットは海外番組を大橋巨泉氏が丸パクリ(後にアレンジ)したものらしい。ゲームとしてよく出来ている。解答の正誤に解答者が一喜一憂し、それらに持ち点を賭ける参加者の一喜一憂が上手く組み合わさっている。

クイズダービーのセット

ところがフォーマットが如何に優れていても番組は終わる。番組晩年は大橋氏が「仕事よりも遊び優先(セミリタイア)」ということで司会を降り、徳光和夫氏が司会に着くのだが、1年ほどで視聴率は低迷し番組も幕を引くことになる。

いかにフォーマットが素晴らしくとも大橋氏の手腕なしでは成立し得なかったということだろう。

※番組との相性というものも当然あり、決して徳光氏そのものが無才であったわけではない。徳光氏もまた長寿番組はいくつも持っており、クイズダービーとの相性が悪かったという他ない。


大橋巨泉氏の印象

私がリアルタイムで知っている大橋氏は、政治家への転身の時期(2000年代)だ。

それまで何をやっていた人なのかは「なんとなく」は分かっていたが、しっかり映像で見たこともないので、氏が司会者として第一線で活躍している当時の雰囲気などは知りようもない。

したがって彼への率直な印象は「突然政治家になると言い出した、偉そうで口うるさい知らないお爺さん」という認識だった。2016年に逝去されたニュースもほとんど印象に残っていない。

ところがこのクイズダービーを見て全てが逆転する。無知というのはいつでもこうだ。


司会のうまさ

大橋氏は今の司会者にないような特徴がいくつかある。

まずなんと言っても偉そうだ。そして解答者をよく馬鹿にしている。時代背景もあるが結構下品でセクハラ的な発言も多い。そして自己中心的だ。

一方で、矛盾するのだが、通常時の言葉遣い自体はとても美しく丁寧だ。人を馬鹿にしているがさほど不快感はない。下品なのだが品格のようなものがそこにある。広い見識や知識と知性に裏打ちされた説得力があり、強い自負を感じる。

それらが混在しつつ、司会進行に緩急をつけて場を盛り上げている。

この緩急も巧で、解答者を馬鹿にするのも緩急をつける手法の一つなのだとわかる。解答者が正解を出すと、すかさずテンポを上げて、パッと声を張り上げる。このあたりが自然でうまい。さらには、大橋氏が楽しそうにしていると、こちらも楽しくなってしまうような「お茶目さ」がある。

偉そうなのにお茶目。下品なのに品格を感じる。低俗かと思えば博識で英語が堪能。臨場感溢れる会話のやり取りは、大橋氏が若い頃に培ったジャズ喫茶などでの司会経験からくるものだろう。このあたりが彼の魅力の核心だろうか。

さらには構成作家を務めていた経験によるものも大きい。演出能力や時間感覚、バランス感覚も優れているように見える。番組の企画自体が彼によるものなのだから当然なのだろう。

こういった総合力は現代では培われる場はないのかもしれない。テレビ黎明期の混沌とした時代を生きた人物だけが成し得る業なのだろうか。

放送作家出身タレント

調べてみると1960年代のテレビ司会者やタレントは、大橋氏に代表されるように、放送作家出身の人物が多い。永六輔氏、青島幸男氏、前田武彦氏などだ。これにはいくつかの要因があるだろうが、単に人材が不足していたということだろう。また芸人やタレントの地位が今より低く、才能ある芸人がそもそも少数であったことも伺える。

現代では分業制が確立し、人材も豊富になったのだろう。

収録時間・編集

30分番組だったクイズダービーの放送時間は約24分で、収録時間は25分から35分ほどだったようだ。殆ど時間的な編集は不要だったと書籍などに記されている。

ほぼ編集なしだったのは、解答者に早く解答を書くよう促す場面が多いことからも分かる。また、大橋氏が番組の締めとしてスタジオの中央で挨拶する場面があるが、回によっては時間に合わせるために慌てて走っている場面も多い。それほど「放送時間に同期させて制作されていた」ということがわかる。

このおかげで生放送のような手際で非常にテンポよく進む。後任司会者の徳光氏はこの事にたいへん驚き、大橋氏の才能に愕然としたというエピソードが残っている。徳光氏は収録に1時間ほどかかったと証言している。

クイズダービーのセット

編集で切ったり繋いだりもほとんどせず、テロップでの強調や誘導もない。観客の歓声の後入れなどもしていない。カメラワークも単調だ。それでいて今の番組と遜色はない。私の個人的な感覚だとこちらのほうが好みとなる。

CMを跨いで正解を発表したり、タレントが大げさなほど目を見開き、大口を開けて驚いた瞬間にCMに入るような演出がないのでストレスがない。

面白さはどこからくるのか

番組冒頭で解答者の先週の成績や珍回答に触れるのも興味深い。現代ではあまりないやり取りだ。連続性を感じさせるものは現代ではむしろ切られるだろう。

今であれば必要なら先週の場面のVTRを挟むのだろうが、クイズダービーは会話で進む。この良し悪しはわからないが、会話中心の構成は独特の温かみはあるだろう。

※現代の番組は非常に親切にできている。少し目を離してもすぐ追いつくことができるような情報が常に補足されている。これについては別に述べたので「テレビはつまらなくなったのか」をどうぞ。

クイズダービーのセット
番組中盤でも今日の成績を振り返る。大したことはないのだが、大橋氏が解答者にあれこれ注文をつけたり褒めたりしている。それだけなのに不思議と面白い。

なぜこんなに面白いのかは正直よくわからない。同じ手法やコンセプトで今やったとしても上手く行かないというのは、徳光氏の事例でもわかる。大橋氏の持つエンターテイメント性に尽きるのだろう。才能という他ない。

しかし、つい「今ではこんな人はもういない」「昔は良かった」と述べたくなってしまうが、それは酷かもしれない。大橋氏は当時でも代役の効かない人物であったはずで、唯一無二の存在だったのならば、現代を一方的に嘆くのも可哀想というものである。

形は違えど、時代を象徴するような司会者がまた現れてくることを願うしかない。もう既にいるのかもしれないが、それは後世が適切に判断してくれるのだろう。有吉弘行氏や中居正広氏などは後世で(もしかしたら現世で)評価されるのかもしれない。


解答者について

篠沢秀夫

篠沢秀夫氏は先頭打者として大変優秀である。後続に続く者を引き立てつつも自身も正誤に関わらずホームランが打てる。大橋氏との相性が良い。篠沢氏のような逸材をどうやったら見つけられるのだろうか。

井森美幸

この番組が化け物だとしたら、井森美幸氏も化け物だろう。30年以上前から現在(2020年執筆時点で51歳)においても、二十歳の頃と中身も見かけも役割まで同じだ。番組の中で大橋氏が井森氏をいたく気に入っているのがよく分かる。

まだレギュラーとなる前の井森氏がゲスト出演した回の次の回で、当時の2枠レギュラーだった山崎浩子氏に対して大橋氏がこんな事を言っている。「(井森には)かなわないだろ?19歳には戻れないんだよ(笑)」

恐らくこの時点で既にレギュラー交代は決まっていたのだろう。少なくとも大橋氏の腹づもりでは確定していたことのように感じる。2枠レギュラーはこの発言の二ヶ月後に井森氏に交代となった。(wikiやその他の資料から多分合っている)

山崎浩子

井森氏の前の2枠だった山崎浩子氏も味があって良い。歴代の2枠では井森氏に次ぐ2番目に長い期間を務めている。どことなくとぼけた雰囲気は、はらたいら氏とやや被る。井森氏への交代もその辺の都合もあるだろう。ただこれはこれで十分面白い。若さと元気に加えて発想までぶっ飛んでいて、現代までバラエティーに出演することになる大エース井森氏には勝てなくて当然。

はらたいら

はらたいら氏の寡黙でありながらとぼけたような雰囲気は独特である。「はらたいらに3000点」などのフレーズが残っているように、氏はなくてはならないキャラクターとして扱われている。ただ、私のような部外者からすると「正答率が高い別のタレントと交換可能かもしれない」などとも頭をよぎる。しかし、何度か見ていると彼でなければならない気がしてくる不思議な存在だ。

竹下景子

竹下景子氏は女子大生の頃からの出演で、結婚・出産を経てもなお出演し続けていた。段々と年齢を重ねていくことに対して大橋氏に度々いじられている。長寿番組ならではのお約束と言ったところか。竹下氏が学生時代の頃の再放送は行われていないようなので、若い頃の姿をまだ見たことがない。一度は見てみたい。

当時は絶大な人気だったようで、その品の良さに憧れるのもわかる気がする。正答率の高い解答者だが、時に大橋氏にいじられてくよくよする姿は、大橋氏とのテレビ的な相性が大変良かったことを示している気がする。

八百長

個人的な見解だが八百長は普通に常態化していたと思われる。はらたいら氏と竹下景子氏、あとはごく一部のゲスト回答者(土井たか子氏など)にはクイズの解答が事前に知らされていたはずだ。そう考えないと不自然な点が多い。もし私がディレクターでもやるだろう。テレビはテレビである。「ここでこうなったら面白い」は作るしか無い。

別に責めるようなことではない。現代のクイズ番組でも度々起きているし、ヤラセとして発覚する事例は山のようにある。個人的にはあって当然だろうという立場だ。科学的な根拠を示す必要があったり、事実と虚偽を混同するような内容であればもう少し踏み込んで批評されて然るべきだが、クイズならこれでよい。

大橋氏はディレクターや出演陣からもそのような事実はないと説明を受けていて、自身の書籍にも自信を持って八百長はないと記載しているが、これは全員墓場まで持っていくだろう。良くも悪くも大橋氏はピュアで、関係者も良くわかっているはずだ。


さいごに

昭和最終盤、バブルへ突入していくただ中、社会全体に漂う熱気と高揚感をこの番組から感じ取れる。誰もがどこか素直で、主人公で、未来は必ず明るいと信じているように見える。それらが醸し出す余裕とおおらかさを感じる。解答者、出演者から否が応でもピシピシと伝わってくる。すこし幻想を抱きすぎただろうか。

大橋氏はそんな時代をうまく仕切っている。戦争を体験し、テレビ揺籃期からの活躍を経て、寵児となった大橋氏のバランス感覚がこの番組にうまくマッチしている。

更には、この番組に夢中になった当時のテレビの前の人々や、子どもたちの思いまで伝わってくるような、妙な錯覚まで引き起こされる。

眩しいほどに輝かしい時代に見えてしまうが、何事にも表と裏があるのも確かだ。当時にも負の側面はたくさんあるだろう。だったとしてもやはりどこか羨ましい。

私が生きているこの時代が、後世から羨ましく思われる時は来ないかもしれない。そう思うと少々寂しい。経済は失速し続けて「失われた30年」と呼ばれ、地震や津波による自然災害、そして疫病。

インフラやシステムとして安心安全・利便性がますます確保された快適な世の中となっている。なのにどこか余裕がなく、誰もが先行きの不安を抱えているような、中々に重苦しい時代となってしまった。結局、我々は高望みしすぎているのだろう。

利便性の奴隷となった結果、私は今こうしてクイズダービーが見れるのだから皮肉なものだ。ただただこんなに面白い番組を見られることに感謝するしかない。

番組に関わった全ての方々と、昭和にありがとう。そして平成にさようなら。

クイズダービーのセット

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