サッカーのシミュレーション行為について

シミュレーション行為

サッカーのルールというべきかレギュレーションで気になる点があるのでメモ。目次としては下記になる。

  • 審判の時計
  • 審判への抗議
  • プレー開始位置(本稿で述べる)
  • シミュレーション(本稿で述べる)

本記事では「プレー開始位置」「シミュレーション」について述べる。

プレー開始位置

まず「プレー開始位置」について。これは非常に細かい話である。私は神経質か潔癖症かと突っ込みたくなる面もあるにはあるが、感じたままなので仕方ないのである。

フリーキックやスローインの開始位置はもう少し厳格に定めていいはずである。ゲームの内容にさほど大きくかかわらないからといって、フリーキックの開始位置(※1)を勝手に前後左右に移動してから蹴る行為は、蹴り直しか何らかのペナルティを課すべきであろう。面倒だから、もしくはリスタートを早くしたいからという理由で勝手な位置からの開始も認めてはならない。スローインも同様である。スローインの場合は、投げる相手を探しているうちに、かなりの距離を有利な方向に移動しているのはお約束である。

また、壁役の選手がジワジワとキッカーに近寄っていくのも、他のスポーツから見ればずいぶん奇妙だ。何度も壁の位置を修正される光景は滑稽であると同時に、審判や相手選手に対するリスペクトを大きく欠いている。大げさに考えれば観客に対してもずいぶん舐めた行為だろう。他のスポーツと比べると品の無さが際立つ。

※1:近年はボール位置や壁の位置(9.15m)をマークするような大会も増えてきた。

これらは、得点が非常に入りにくい競技であることで、人の持つ柔軟な感覚によって特段問題視されず常態化しているが、審判を欺いたり、「これくらいなら許される」といった精神の準備段階であり、是正すべきだろう。要するに「審判やルールそのものを舐めている」節がある。ファウルやシミュレーション行為、ひいては危険行為などの温床になっていると捉えたほうがいい。

したがって、審判の定めた所定位置から確実に開始すべきである。これにより審判の負担が増大し、円滑な試合進行が行えないのであれば、フィールド内の審判を増やすことを検討すべきである。個人的には副審(線審)がもっとでしゃばっていいと考えている。そもそもサッカーは審判の数が少なすぎるので増やす方向なら歓迎すべきことである。特にフィールド内の審判は増やしたほうがいいだろう。

シミュレーション

次に「シミュレーション」について。

シミュレーション行為は他のスポーツと比べるとやや異質でよく槍玉に上がる行為だ(※2)。しかし、ボディコンタクトのある競技のうち「倒したほうが悪い」とするスポーツでは仕方のない側面でもある。NBAではフロッピングと呼ばれ、同様に問題視されている。

※2:野球で言えば当たっていないのにデッドボールだと主張するのに似ている。

審判を欺ける可能性が存在し、さらにそれによってゲームの勝敗に関わる優位を得られるのであれば、プレーヤーは状況に応じてトライするだろう。しかし当然ながら非スポーツマンシップ的行為の代表格であり許されるべきではないのは間違いない。

これを根絶するには「欺けない」ということをプレーヤーに明示する必要がある。明示ができさえすれば、たとえ根絶は無理でも大きく減少はするだろう。

明示となるとビデオ判定以外に手段はないが、流れが重要であったり、再開始後に中断前の再現性が取れないスポーツ(※3)では、試合中にビデオ確認するのが難しいかもしれない。

※3:野球は再現性が高いスポーツである。中断後に判定が変わっても「ホームランではなく二塁打とし、ランナー2,3塁で試合再開する」などという”みなし”が可能である。アメフトの再現性はサッカー並に低いが「フラッグ」システムで見事に解決している。しかしこれは常に細切れのように時計が止まる競技だから採用可能な方式かもしれない。サッカーのようにインプレーが長い間続く可能性のある競技では採用は難しいか、もっと別の工夫が必要だろう。個人的には「フラッグ」システムを思いついた人は天才だと思う。

したがって、試合内でのジャッジとは独立してシミュレーションを裁くということも必要だろう。特に年間で勝敗を争うリーグ戦などの商業的に成功しているリーグや大会では、時間や運用でも比較的余裕があるので、試合後に裁定を設けて厳格に裁けばいい。もちろん、リアルタイムでビデオ検証し円滑に試合進行ができる運用やシステムが築けるのであればこの限りではない。あくまで理想はリアルタイムだ。リアルタイムの場合はチャレンジ制度かそれに類似した制度をサッカーにも取り入れることになるだろう。

このとき、対象となるプレイを審判だけで決めてはならない。必ず両チームに異議を唱える権利を与えるべきである。疑わしいプレイがあったのに審判の独断で「ビデオ判定は不要」と判断すると、余計に不公平感を煽ることになるからだ。これではせっかく制度を導入しても意義は半減する。

試合後であれ試合中であれ、疑わしい箇所について映像をチェックし、シミュレーションがあれば別途ペナルティーを課せば良い。簡潔で確実に対処可能である。この制度であれば、シミュレーションが発生してもその時々でフェアに解決できる。「やったもん勝ち」が蔓延することが一番良くない。

ペナルティーは次の試合や数試合の出場停止措置を執るのが効果的であろう。当然ながら、試合終了後に発覚したシミュレーションについては、それによって得たペナルティーキックは無効として、試合の得点を再計算し、勝点などの計算も大会レギュレーションに即した形で再計算すべきだろう。恐らくこれで演劇のような転倒は減る。繰り返しになるが、根絶できなくともシミュレーション行為に対してフェアに罰則が課せられる点が肝要である。

少しの反省

別の記事「サッカーの審判の時計」と合わせてこれらの措置が採用されると、サッカーはよりフェアになると思われるが、何か「綺麗すぎる」という気もしなくはない。やはりアンフェアであろうが審判を騙そうがどこか「人間臭さ」が消えることに心理的な抵抗があるということかもしれない。もしくは、憤りや嘆きも含めてのエンターテイメントとして捉えるべきなのだろうか。「神の手」と言われたマラドーナのグーパンによるゴールが語り継がれているように。

MLBではチャレンジ制度により、監督が審判へ激怒しながら猛烈に講義するシーンはほとんどなくなった。技術的な進歩によって公平さが担保されたため、ある種のエンターテイメント性は一部消去されたと捉えていいだろう。しかしチャレンジ制度を廃止するべきと言った風潮にはならないはずだ。人は定められたルールの中でフェアに試合をしているのを見るほうが心地よいからだ。

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