情報技術と経済格差

「資本主義」が元々持つ「富める者がより富む」という性質を「情報技術(IT)」が加速させているのではないか。そんな疑いを深めるようになっている。

技術革新(イノベーション)がもたらすもの

技術革新は新たな産業を創造し、消費と雇用を掘り起こし、社会全体を豊かにするというサイクルを加速させるものとして信じられてきた。ある種の牧歌的な「成長こそが全てだ」という価値観ではあるが、何も考えずともそれなりに上手く機能していたのは疑いようがない。技術革新によって廃れる産業があるのは間違いがないが、新たな産業はそれを上回る規模になることも半ば当然のものだった。

ところが情報技術の登場によって、それを背景としたイノベーションについては、プラスの効果範囲が非常に限定されているという印象がある。むしろマイナス面が目立っているのではないかという疑念だ。巨大企業とその他大勢、ごく一部の世界的な資産家とその他大勢、のような格差が拡大している近年の現状をどう捉えるべきなのだろうか。

生産性と雇用

生産性の向上とは「100の仕事を10人で行っていたが、8人で出来るようになる」ということだ。確かにこの瞬間は失業者は増えやすい。ただこの効率化によって、物の価格が下がることで消費が拡大する。消費の拡大によって余った2人は欠かせない人員になる。10人で125の仕事をやるようになるし、新たに10人を雇用し20人で250の仕事をやるようになる。この企業は成長し、競争力が高まる。

このようにこれまでは生産性が向上すると雇用は拡大してきた。18世紀の産業革命も職人が機械に置き換わったが、景気が後退することはなく、むしろ爆発的な市場の活性化が起きた。

さて「1000の仕事を1人で出来る」ようになるとどうだろうか。たとえ10倍の「1万の仕事」でも1人で出来る。これが情報技術の持つ特性だ。現在では一部の情報通信分野のみがこの特性を享受しているが、AIとなればさらに多くの産業、とりわけこの国の7割を占めるサービス業に波及する。バスやトラックなどの運輸、スーパーやコンビニやレストランなどの小売・飲食では無人化や少数化が進む。

この時、本当に雇用の拡大は起こるのか。

突き詰めれば、「たった一人が全世界の仕事を担った場合、どのような社会となるのか」という話になる。極端すぎて参考にならないかもしれないが補助線にはなるはずだ。当然仕事は一つもない世界となる。頂点にいるその一人が全世界に富を分配するしかない。ユートピアという言葉がピッタリの世界観だ。

近年ベーシックインカムが各所で議論されているのも、「今後もさらに富の集中が加速する」という共通感覚が前提になっている。

GAFA

情報技術はGAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)に代表されるように、一強を生み出し、経済格差をより拡大させてしまう効果があるようにみえる。彼らは少ない人員で全世界を相手にできるプラットフォームを確立したのだから当然なのだろう。一方で、そのプラットフォームの配下にある無数の企業は熾烈な競争を迫られている。これではますますGAFAが独走し、経済格差は増大するよりほかない。

資本主義が元々備える「強者がより強くなる」という輪郭が、情報技術によってより明確になった現れではないか。

別に誰が悪いわけでも、GAFAが悪いわけでもない。GAFAはただの入れ替え可能な器だ。Microsoftがプラットフォームホルダーから脱落したとみなされるのはその典型で、入れ替わる可能性はいつでもある。そのうちテンセント(中国)※1 などがGAFAに食い込むのかもしれない。

※1:ゲームが好きな方なら League of Legends の Riot Games を保有する企業といえば馴染みに感じるかもしれない。ブリザードなどの大株主でもあり、世界第一位のゲーム会社だ。フラットフォーマーとしての側面では日本などで定着しているLINEのようなメッセンジャーアプリを中国で提供している。既に時価総額ではFacebookを抜いている(2017年現在)。

当然、資本主義が悪だというわけでもない。情報技術や技術革新が悪いわけでもない。デメリットの無いシステムなど無く、完全に制御・調整可能な社会などないのだ。

ミクロとマクロで交差する

ミクロな視点では情報技術は非常に便利で快適な環境を我々に提供してくれる。

私達は携帯さえあればある程度のことはなんでもできてしまうと言ってもいい。安く物を手に入れられたり、お金も時間もムダを省くことができるし、世界中の情報を簡単に入手できる。日々便利になっていると言ってもいいだろう。通勤、通学時間、トイレ、ふとした空き時間のほとんどはスマホを使っている。情報技術の利便性の奴隷と言ってもいいほどだ。

今後も情報技術を背景としたイノベーションは世界で様々に起こる。そのたびに我々はもっと快適で、安価で、ときには無料で、先進的で便利なサービスを享受することが出来るだろう。

しかしマクロでは私達の望むこととはまったく逆のことが起きているのではないか。

一見、便利で快適で安くサービスが受けられる反面、実はその行動は、特定の巨大企業と投資家などの一部の資産家にのみ、富を集中させていることにつながっている。気づかぬうちに、格差の固定や増大を招いている。

我々が「得をしよう」「効率的であろう」と利便性や快適さを求めれば求めるほど、自然現象のように格差を拡大させてしまう。便利で快適な生活をもたらしてくれる情報技術や技術革新は、ミクロでは我々を幸福にしているが、マクロでは不幸にしているのだろうか。

イノベーションの呪縛

「じゃあどうすればいいのか」と嘆いても、技術革新や情報技術の向上をやめるわけにはいかない。止めた国や企業から途端に競争力を失い、上で述べてきた格差の拡大よりももっと深刻な経済状況に転落するからだ。

その先に何があるかなんて誰にも分からないが、前に進むしかないのである。たとえ分かっていたとしても人は進むしかない。今のところ資本主義よりましなパラダイムも恐らく無い。チューニングし続けて行くよりほかない。来たるべきユートピアに向かって突き進む、激動の過渡期に足を踏み入れつつあるのかもしれない。

余談:AIによって本当に雇用の減少は起きるのか

生産性の向上は本来歓迎されるはずのものだ。世界中で推進されているし、どの政府も、どの企業でも、鼓膜が破れるほど唱えられている。ところがAIの登場によって目標地点の視界は不明瞭になったといえる。これまでに経験したことのない生産性の向上がどのような影響を及ぼすのか、正直よくわからないのだ。

産業革命を例に見ればAI時代に突入しても雇用は拡大すると考えてもいいはずである。しかし今はあまりそう思われていない。生産性の劇的な向上が起きても、既存産業の規模は大して拡大せず、新たな産業が興っても雇用は増えず、人口も増えなければ消費も生み出されず、人のみが余ると考えられている。日本に限って言えば、人口減少の進む社会と、むしろAIは相性がいいとも言えるかもしれない。

ちなみに厚生労働省は統計データを示していて、近年の日本においては生産性の向上と雇用には「明確な相関はない」としている。すなわち、「雇用減少を気にする必要はなく、生産性を上げるべきだ」と言っている。これはこれでもっともだろう。

経済産業省はAI時代をにらみ、正直に苦しい心境を吐露しているようにみえる。具体的には、産業の構造を転換し、AIによって一時的に出現する失業者を、AIや情報技術の関連産業へ移行させる必要があると言っている。構図としては産業革命と同じシナリオだろう。

独立行政法人経済産業研究所では雇用については悲観していないが、格差拡大については懸念しているように読める。

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