情報技術と経済格差

「資本主義」が元々持つ「富める者がより富む」という性質を「情報技術(IT)」が加速させているのではないか。そんな疑いを深めるようになっている。

技術革新(イノベーション)がもたらすもの

情報技術が登場する以前のイノベーションは、新たな産業を創造し、需要を掘り起こし、消費が拡大し、雇用を生み出し、社会全体を豊かにするというサイクルが、様々な背景とも重なり成り立っていた。ある種の牧歌的な「成長こそが全てだ」という価値観ではあるが、何も考えずともそれなりに上手く機能していたのは疑いようがない。イノベーションによって廃れる産業があるのは間違いがないが、それを上回る産業規模になることも半ば当然のものだった。

ところが情報技術の登場によって、それを背景としたイノベーションについては、プラスの効果範囲が非常に限定されているという印象がある。むしろマイナス面が目立っているのではないかという疑念だ。巨大企業とその他大勢との格差のみが拡大している近年の現状をどう捉えるべきなのだろうか。

マッチングの効率化がもたらす一強多弱

例えば、夕飯の食材をスーパーで買う場合、誰もが良いものを安く買いたいと思うだろう。理想を言えば、1円でも安い商品を購入したい。ところが移動範囲はかなり限られている。夕飯に間に合う範囲で購入する必要があるし、疲れない範囲でなければならない。

したがって、足かせとして地域格差があることになる。遠くに格安スーパーがあっても行きたくてもいけないし、そもそも格安スーパーがあることを知らないかもしれない。知らないとなれば情報格差も起きている。

この人は他の地域の住人より不当に物を高く買わされているとも言えるが、地域格差のおかげでその地域の経済は潤っているとも言える。利用者の利便性が犠牲になっている代わりに地域経済が成立している。

では、PCのマウスをネットで購入する場合、恐らくあなたは検索して出てきた商品の中から選ぶことになる。欲しいと思った商品が複数のネット小売店舗で取り扱っているなら、1円でも安い物を躊躇なく選ぶことが出来る。多少の情報格差(検索の方法の違いなど)や地域格差(送料の違いなど)はあるだろうが、日本全国どこにいても、ほとんど似たような情報にたどり着き、同じ商品を同じ価格で購入できる。上述のスーパーほどのような足かせはない。

極端な比較ではあるが、情報技術によって経済活動における地域格差や情報格差がなくなり、消費者と提供者のマッチングが高度に効率化されているのがわかる。そのおかげで、多くの人はそれほど苦労することもなく、最もコスパのよい商品を購入することが出来る。ネット以前では考えられないようなとてつもない利便性だ。

安くて便利なことは素晴らしいはずで、誰もが喜ぶべき状況のはずだ。こんな素晴らしいことに抗えるわけもない。

しかしこのような我々の活動の蓄積によって、一強を生み出すことを後押ししてしまっている。「どこで購入するか」や「何を購入するか」という選択肢が、旧来の社会と比べると随分と一点に絞られている。あらゆる消費活動がこのように最適化されれば、ますます特定の企業のみに利益が集中するはずだ。

高度な業務の効率化がもたらす雇用減少への危惧

もう一つは少し先の話になるがAIだ。AIの登場によって、産業革命と同等か、それを遥かに上回る異次元の業務効率化が起こる。それが一体何をもたらすのかはまだよく分かっていない。ただ、多くのメディアや研究機関で雇用の減少が叫ばれていて、漠然と私もそう信じている。

散々言われていることではあるが、近い将来では、タクシーや運送業や列車などの流通・交通分野や、コンビニやチェーン展開する飲食店などの小売・飲食などで大幅に雇用が減少する。未だかつてない生産性の向上が見込まれる。日本の7割近くを占める第三次産業の大部分がカバーされる見込みだ。

この急激な生産性の向上によって一時的に雇用が奪われるのは間違いがないだろう。時間を経て代わりとなる産業と雇用が創造されれば良いが、もしないのであれば永続的な格差の拡大が起こってしまう。もし実際にそうなるなら、ベーシックインカムが現実味を帯びてくる。

「どれだけ少数の人間で巨大市場を相手に商売ができるか」というゲームが、情報技術と親和性のある業界で、極限にまで達し始めているのが現代だ。それに加えてさらにAIによって、もっと広範囲な業種で直接的に人件費や無駄が省かれ、自動化され、劇的に生産性が向上し、高度に効率化された経済活動に転換していくことになる。

余談:AIによって本当に雇用の減少は起きるのか – 生産性と雇用の関係

生産性の向上は本来歓迎されるはずのものだ。世界中で推進されているし、どの政府も、どの企業でも、鼓膜が破れるほど唱えられている。ところがAIの登場によって目標地点の視界は不明瞭になったといえる。正直よくわからないのだ。

「生産性の向上」を額面通り受け取れば、ミクロでは雇用を奪うように見える。10人でこなしていた仕事を、2人で出来るようになれば、生産性は飛躍的に向上したことになる。8人はお払い箱だ。AIの登場で用いられる一般的なシナリオだ。なるほど雇用は減少する。

しかし、生産性の向上と雇用の拡大は、仲良く足並みを揃えてきた長い歴史がある。そこに相関があるのかは分からないが、これまではそうなっているのだ。

例えば産業革命がそうだ。技術革新によってあらゆる町の職人が機械や工場に置き換わった時代だ。人類史上、最も劇的な生産性の向上が起きた例だが、雇用は減少しなかった。逆に莫大な雇用を生み出した。

からくりとしては、生産性の向上によって、大量に商品が生産できるようになり価格が安くなる。安くなることで消費が拡大し、新たな需要が掘り起こされ、ますます商品が売れる。人口爆発などももろともせず、人が余ることはなく、むしろ消費が先行し、結果として雇用は増えた。大量消費社会の始まりだった。

このように生産性と雇用の関係は正直良くわからないのである。産業革命を例に見ればAI時代に突入しても雇用は拡大すると考えてもいいはずである。しかし今はあまりそう思われていない。生産性の劇的な向上が起きても、既存産業の規模は大して拡大せず、新たな産業が興っても雇用は増えず、人口も増えなければ、消費も生み出されず、人のみが余ると考えられている。日本に限って言えば、人口減少の進む社会と、むしろAIは相性がいいとも言えるかもしれない。

ちなみに厚生労働省は統計データを示していて、近年の日本においては生産性の向上と雇用には「明確な相関はない」としている。すなわち、「雇用減少を気にする必要はなく、生産性を上げるべきだ」と言っている。これはこれでもっともだろう。

経済産業省はAI時代をにらみ、正直に苦しい心境を吐露しているようにみえる。具体的には、産業の構造を転換し、AIによって一時的に出現する失業者を、AIや情報技術の関連産業へ移行させる必要があると言っている。構図としては産業革命と同じシナリオだろう。

独立行政法人経済産業研究所では雇用については悲観していないが、格差拡大については懸念しているように読める。

GAFA

これら上記の例を参照するまでもなく、情報技術は、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)に代表されるように、一強を生み出し、経済格差をより拡大させてしまう効果があるようにみえる。彼らは、少ない人員で全世界を相手にできるプラットフォームを確立したのだから、当然の成り行きだと言っていいだろう。一方で、そのプラットフォームの配下にある無数の企業は熾烈な競争を迫られている。これではますますGAFAが独走し、経済格差は増大するよりほかない。

資本主義が元々備える「強者がより強くなる」という輪郭が、情報技術によってより明確になった現れではないか。

別に誰が悪いわけでも、GAFAが悪いわけでもない。GAFAはただの入れ替え可能な器なのだ。いつまでGAFAがGAFAでいられるかは誰もわからない。Microsoftがプラットフォームホルダーから脱落したとみなされるのはその典型で、入れ替わる可能性はいつでもあるのだ。そのうちテンセント(中国)※1 などがGAFAに食い込むのかもしれない。

※1:ゲームが好きな方なら League of Legends の Riot Games を保有する企業といえば馴染みに感じるかもしれない。ブリザードなどの大株主でもあり、世界第一位のゲーム会社だ。フラットフォーマーとしての側面では日本などで定着しているLINEのようなメッセンジャーアプリを中国で提供している。既に時価総額ではFacebookを抜いている(2017年現在)。

当然、資本主義が悪だというわけでもない。情報技術や技術革新が悪いわけでもない。デメリットの無いシステムなど無く、完全に制御・調整可能な社会などないのだ。

ミクロとマクロで交差する

ミクロな視点では情報技術は非常に便利で快適な環境を我々に提供してくれる。

私達は携帯さえあればある程度のことはなんでもできてしまうと言ってもいい。安く物を手に入れられたり、お金も時間もムダを省くことができるし、世界中の情報を簡単に入手できる。日々便利になっていると言ってもいいだろう。通勤、通学時間、トイレ、ふとした空き時間、ひいては食事中、人と会っているときでもスマホを使っている人は多い。情報技術の利便性の奴隷と言ってもいいほどだ。

今後も情報技術を背景としたイノベーションは世界で様々に起こる。そのたびに我々はもっと快適で、安価で、ときには無料で、先進的で便利なサービスを享受することが出来るだろう。

しかしマクロでは私達の望むこととはまったく逆のことが起きているのではないか。

一見、便利で快適で安くサービスが受けられる反面、実はその行動は、特定の巨大企業と投資家などの一部の資産家にのみ、富を集中させていることにつながってはいないだろうか。気づかぬうちに、格差の固定や増大を招いている可能性がある。

我々が「得をしよう」「効率的であろう」と利便性や快適さを求めれば求めるほど、自然現象のように格差を拡大させてしまう。

便利で快適な生活をもたらしてくれる情報技術や技術革新は、ミクロでは我々を幸福にしているが、マクロでは不幸にしているのだろうか。

イノベーションの呪縛

「じゃあどうすればいいのか」と嘆きたくなるかもしれない。しかし選択肢は「ない」と言っていい。イノベーションや情報技術の向上をやめるわけにはいかないのだ。止めた国や企業から、途端に競争力を失い、上で述べてきた格差の拡大よりももっと深刻な経済状況に転落するからだ。

その先に何があるかなんて誰にも分からないが、前に進むしかないのである。たとえ分かっていたとしても人は進むしかない。資本主義よりましなパラダイムも恐らく無い。チューニングし続けて行くよりほかない。

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