なぜ日本の音楽業界は衰退したのか

音楽が大衆文化の頂から転落した要因として何があったのか。「本当に転落したのか」という所に異論があったとしても、それまで業界が保持していた社会への影響力を、驚くほどの速度で失っていったのは誰も否定できないだろう。

その原因を探るべく、もっぱら日本レコード協会や総務省やWikipedia※1などを参照し、CDや配信などの売上やチャート順位、各賞の受賞作品、視聴率や社会情勢などの推移を眺めた。興味を惹かれた作品や人物については、本稿の趣旨からして相当に皮肉な格好となってしまうが、youtubeやamazon music※1で楽曲や映像も確認した。

※1:Wikipedia、youtube、amazonという並びで、既に本稿の結論が出ている。

ネットにある主な説

まずは、ネット上でぱぱっと検索して見つかる主な説を見てみる。

  • そもそも良い音楽が無くなった
  • 音楽業界や団体の失政(CCCDやJASRACに対する意見が多い)
  • 違法コンテンツ
  • youtubeなどの出現
  • テレビの衰退
  • レンタル店、中古市場の氾濫
  • 特定の人物やグループなどが悪影響を与えた
    (小室哲哉氏やAKBグループ(秋元康氏)に対する意見が多い)
  • 趣味の多様化
  • 少子化

上記以外にも多数。説得力のあるものから、疑問を挟みたいものまで多岐にわたる。影響は大小様々で、中には首を傾げるものもあるが、ほとんどはどれも少しずつ正解だろう。

しかし「あれもこれも原因だ」とされると、認知整合性の座りが悪いからだろうか、どこか腑に落ちない気分にもなる。「AならばBだ」と単純な図式でスッキリしたいと願っているお子様な自分がいる。自身の知能レベルで理解可能な抽象度で捉えようとすれば、擬似相関に足元をすくわれるのは目に見えているのだが。

記事の動機と目的

このように様々な要因がひしめき合っているので、各人の切り口で自由に論じることが可能だ。そのためフワッとした結論になりやすいという側面がある。

ということで本稿では、結論を一言で分かりやすく済むようにまとめたい。様々な説を否定するものではなく「ざっくりと言えばこうなる」ということを示したい。何より私の鶏頭で理解できるようにしたかった。

そもそもこの話題は、純粋に考察対象として面白いため、私のような個人の感想から、しっかりとした大学などの論文まで様々な論説が目白押しだ。身近な話題でありながら、様々な社会や環境の変化を辿ってきた複雑さもあるため、着眼点に個性が出る。さらには、陰謀めいた話や、業界や団体を利権構造として見ることで、盛者必衰の理に「ある種の庶民的な痛快さ」を得ることも可能だ。また、手軽に統計データを入手できる点も、(本稿のように)それっぽく客観性を付与しやすく、面白さにつながっている。

急で乱暴な結論と真の主題

結論としては一言で済む。「ネットの登場」だ。それを言ってしまえば「あたりまえだ」「身も蓋もない」「面白みがない」という野暮なものではあるが、この直球ど真ん中を真正面から言い切っている言説は意外と少ない。そして重要なのは「ではなぜネットの登場で音楽業界が衰退したのか」となるが、こちらはどうしても具体的な各論に分岐してしまう。

例としては、上記にもあるように「youtube」や「違法コンテンツ」だ。これらは実質無料で音楽が聴けるため「売上が下がる」という主張になる。「テレビの衰退」も視聴率が落ちて影響力が低下し、音楽プロモーションに触れる機会を失うと同時に、「趣向が多様化」して「売上が落ちた」という主張になる。これらは具体的な現象としてもっともで、最有力なのは間違いがない。ただ、各論に分岐する前にもう少し根源的な理由を掘り下げたい。

したがって本稿の主題は「ネットのどのような影響力が音楽業界に『原理的』に働いたのか」となる。その結論を踏まえて「音楽業界の再浮上への提言」を少し述べる。また「本当に音楽業界が衰退しているのか」という点についても触れる。

ネット普及率と音楽ソフトの売上

ようやく本題。まずは国内のネットと音楽業界の関連を見てみる。下図の通り、音楽ソフトの売上は1998年をピークとして規模は右肩下がりだ。これを見る限りは「衰退している」と言って差し支えないだろう。そしてそのころ、丁度ネットの普及が始まっている。

気をつけたいところとしては、この2つの相関について、客観的な因果関係を示すことは困難か不可能で、「相関関係は因果関係を含意せず」を原則として見る必要はある。従って私の個人的な見解として眺めて欲しい。

出典:日本レコード協会総務省 2005年から配信実績(ネット配信)が統計に加算されている

一般にネットが手に届くようになったのはWindows95の登場からと言われている。日本での発売は1995年11月23日だ。NTTのアクセスポイントの事情などもあり、実質的には1996年頃から普及が始まっているとされていて、グラフと合致している。

世界の傾向

このネット登場による音楽ソフトの漸減の傾向は日本だけの話ではなく、世界中で似たようなことが起きている。世界の売上の推移は下図のとおりだ。

出典:GLOBAL MUSIC REPORT 2017(IFPI)

ただ世界と日本で違うのは、近年世界ではネット配信の伸びが大きく、産業全体をも押し上げるほどの売上となっている点だ。2010年には下げ止まりを見せ、2015年からは回復基調となっている。このとこから楽観的な見方をすれば、日本もどこかでネット配信が伸びて底を打つという期待はある。

付け加えておくと、下図の通り、日本の音楽市場規模は今でも米国に次ぐ2位(2016年時点)で、世界と比較すると、これでも非常に売れている部類だ。したがって、未だに「売れすぎている」という見方もできるため、手のひらを返して悲観するならば、底打ち反転はまだまだ遠い可能性がある。

出典:世界の音楽売上データ(Wikipedia) / IFPI

ネットがもつ鬼畜駆逐要素

では何故、ネットの登場で音楽ソフトの売上は落ちたのか。音楽の衰退に関連するネットの要素を3つに分解して説明する。3要素とも「暇つぶし」がキーワードとなる。そしてこれは本稿の核心部分でもある。

多様性

簡単に言えばネットは「なんでもある」ということになる。「なんでもあるように見える」だけでもいい。一つのディスプレイを介して様々なコンテンツを扱えるようになったその多様性の破壊力は凄まじい。具体的には現在のネットでは「文字」「画像」「音」「映像」を扱える。それまで独占的に扱っていた各産業が割りを食ったはずだ。

最も顕著なのは出版業界で、下図の国内の雑誌の売上を見ても、やはり90年代後半から直滑降で滑り落ちている。かつての暇つぶしの代表格は呆気なく散っていく。

出典:出版科学研究所

一方、雑誌以外の書籍電子書籍と合わせれば踏みとどまっているのがわかる。このことから「趣味や価値観の多様化によって消費が分散、目減りした」という言い方よりも「暇つぶしの行動先がネットに置き換わった」のほうが近いと感じる。

双方向性

人間は双方向性の奴隷と言ってもいい。ゲームやコミュニケーションツールの発達がそうで、これらは人を瞬時に没入させる働きが大きい。人はリアルタイムの反応にどうしても敏感にならざるを得ない。相手が生きた人間ならなおさらだ。

双方向性が明確で、敷居もそれなりに低い暇つぶしとして、ネット以前に地位を獲得したのは恐らく家庭用ゲーム機だろう。古くはファミリーコンピューター(1983年)などの据え置き機や携帯機が、時代や技術的な背景を伴って爆発的に売れた。急速に市場規模を拡大し、社会現象にまでなったのもうなずける。

ネット登場後もゲームやコミュニケーションツールは次々と形を変えて進化した。黎明期はチャットや掲示板が登場して瞬く間に広がった。現代では更に進化したインタラクティブ性を我々に提示し、ソーシャルゲームやSNSが席巻している。気づかぬうちに莫大な時間を消費しているという経験は誰でもあるだろう。

事実、統計的にも人はネットで莫大な時間を消費してるのがわかっている。下図はメディアの利用時間だ。3つのオレンジ色(パソコン、タブレット、スマホ等)がネット利用を示していて、順調に拡大しているのが分かる。また、テレビやラジオといった既存メディアの減少スピードよりも、ネットの増加スピードのほうが早く、結果的に総利用時間が増加えている点が興味深い。当然ながら一日の時間はみな平等に24時間なはずなので、相対的に他に費やす時間が奪われているのがわかる。

出典:博報堂DYメディアパートナーズ

自己完結性

これはネットだけではなく、雑誌や音楽も備えている性質で、ほとんどの「暇つぶし」が備える重要な要件だ。「少なくとも一人で実行できる」ということになる。ちなみに、音楽は複数人を許容する自由度がある。雑誌はネットと同じく基本的に「お一人様向け専用コンテンツ」となる。

ところが、ネットの自己完結性は雑誌や音楽などよりも、もう一段進んでいる。

もし科学が発達し、SF作品のような電脳化などが起これば、外部との物理的なインターフェースも不要になり、更に閉じた系に達する。

例えばネット以前では、(本でもなんでもいいが)同じものでは飽きるので、新たな体験や情報に触れようとする。その時どこかの物理的な店舗で購入する必要がある。遠ければ面倒だし、行ってみなければ欲しいものがあるかも分からず、夜中だったら店がやってない。という具合に多くの制約がかかっている。しかしネットであれば移動不要で昼夜を問わず、常に新しい体験を得られる。また、移動中であっても仕事中でさえも望めば得られてしまう。かなり閉じた世界だ。

さらには、複数人と遊ぶネットゲームだとしても、自己完結性が保持されるようにかなり丁寧に設計されている。SNSなどのコミュニケーションツールも同様だ。そのおかげで思い立った時に始めて、いつでも終わることが出来る。他者と遊んだり何かに参加することと、自己完結性が綺麗に同居している。従ってネットは「自己完結性を保持したまま他者との交流も可能なツール」となる。

これでは他の暇つぶし達がかわいそうなほどに戦力の差がある。ネット以前で他者との暇つぶしを行うには、自分が何処かに出かけたり、事前に全員で予定を合わせたりと自己完結性は皆無になる。寸前で行きたくなくなっても、気ままに途中離脱することも簡単ではない。

暇つぶしの王様

ネットは「多様性」「双方向性」「自己完結性」の3つの側面を高いレベル」で同時に保持している。「暇つぶしの王様」とでも言えばいいだろう。これでは従来からの「暇つぶし産業」の多くは専有時間を奪われて敗北しいくしかない。ゲームですら一時期売上を下げた(※2)のだ。手軽で安価で、極めてプライベートな時空を維持したまま、双方向性も兼ね備えた異次元の暇つぶし手段に勝つことは容易ではない。

※2:本稿の一番下の「おまけ」でゲームの売上についてグラフを示した。ご存知のようにソーシャルゲームなどの隆盛でゲームは盛り返した。

この転換によって、人は音楽に費やす時間が大きく減少したはずだ。時間だけでなく質的にも変化し、「真剣に耳を傾けて聴く体験」が失われていった。音楽はジッと構えて歌詞やジャケットなどを握りしめて熱心に鑑賞するものではなくなり、何かの片手間に流れるものへとシフトした。

音楽だけではなく、それまでの多くの暇つぶし系の娯楽は、専有時間を奪われて売上も影響力も同時に失っていった。テレビや雑誌や音楽はその典型例で、ネットによる「時間攻め」とでも言うべき影響力によって塗りつぶされた。ネットとの親和性の濃淡にかかわらず、基本的に(生活必需品以外の)ほとんどのB2C産業は苦戦するはずだ。自動車などの売上も影響を受けているだろう。「若者の〇〇離れ」の大体はこの構造で説明可能だろう。

「良い音楽なら売れる」という考えはもはや成り立たない。いくら「いい音楽」を作ったって、人々に聴く時間がなければどうしようもない。現代ではとにかく空き時間をネットで消費されてしまうのだ。音楽業界はどうにかこの三要素を十分に満たして、暇つぶしの代表格に返り咲く方法を模索する必要があるだろう。

一方、ネットこそが主戦場だとして、新しい価値を見出そうとした産業や企業体は急速に拡大していく。世界的に見ればGAFAがその典型で、国内で言えばソーシャルゲームなどが成功例だろう。

個人的に悔やまれるのは、国内企業で一つでも世界と渡り合える規模のソフトウェア企業が排出できていればとの思いがある。そこまで行かずとも、音や文字といったネットと比較的親和性のあるはずの音楽業界や出版業界が当時構えていた態度は、振り返ってみれば確かに反省すべき点があるだろう。

少し本稿の趣旨から離れるが、テレビ会社や流通小売などがプロ野球の球団を手放す中、ネット系の企業が続々と球団を手中に収めていった姿は象徴的だ。近年は全てネット系の企業による親会社の変更となる。更に遡れば、かつては多くの映画会社が親会社であったことからも、球団は時代を反映するバロメーターとしてみることが出来る。映画→新聞テレビ→ネットと綺麗に時代が変遷している。

2005年:近畿日本鉄道→ライブドア(2004年に参入の表明があったが色々あって未遂)
2005年:近畿日本鉄道→楽天(移行ではなく合併に伴う消滅と創設)
2005年:ダイエー→ソフトバンク
2012年:TBS→DeNA

時代が要請した音楽特需

言い換えれば、90年代もしくはそれ以前に音楽を楽しんでいた大部分の層は、「仕方なく」音楽を聴いていたとも言える。90年代は「ネット以前の最後の牧歌的な時代」と言えよう。「仕方なく」はやや誇張した表現ではあるが、悪意があるわけではない。音楽そのものに魅力があったからこそ、成し得た隆盛なのは間違いがないが、俯瞰してみれば他に選択肢がなく、時代がある程度強制していた側面はあるだろう。いわば巨大なライト層を丸抱えしていた産業だったのだ。ネットのない当時では、一人で暇つぶしをするとすれば音楽鑑賞が手軽でありながら充実した選択肢だったはずだ。

いまでも熱心に聴く音楽ファンは、それを明確な趣味としている人々であり、コアな層となる。ライブなどの興行が堅調なのも、コアなファンがしっかり足場を固めているからだ。したがって現在は「音楽は趣味の一つとしての位置に戻った」「戻りつつある」と言うことが出来るのかもしれない。今までがライト層が多すぎたのだ。その意味で「大衆文化の頂きからの転落」は事実だろう。

上記の類推を現在に当てはめるならば、現代ではネットを「仕方なくやっている」「時代が強制している」と言えるのかもしれない。別の優れた暇つぶしの手段が発達した「未来」から「現代」を見れば、そう映る可能性がある。

音楽ライブ市場からみる現状

ネットが暇つぶしの天下を握った今、音楽業界では何が起きているのか。起きていないのか。

90年代に時代の要請で無自覚的にライト層となっていた群衆は、確かにどこか(ネット)へ霧散してしまった。しかし、暇つぶし「ではない」熱心な音楽ファンはむしろ増えている。もしくは消費金額が上昇している。それを裏付けるデータがある。

下図は国内の音楽ライブの興行成績で、公演数売上も右肩上がりだ。特に近年の急成長については、過去の反省を踏まえると、「バブルなのでは」と心配したくなるほどだ。

2016年に売上が下がっているのは2016年問題と称する会場不足が原因だろうか。

出典:コンサートプロモーターズ協会

グラフや資料などを見ていると、むしろ90年代がイレギュラーであっただけで、現在のほうが「正常運転なのでは」という気もしてくる。本稿の冒頭で「本当に転落したのか」という問いを挟んだのは、このライブ市場の動向が引っかかったからである。

事実、図1の音楽ソフト生産実績と、図3のライブ市場の売上を合算すると、それほど悲観する状況ではないかもしれない。2000年代の落ち込みには肝を冷やしたはずだが、ライブ市場に活路を見出していることがわかる。

これを見る限り、少なくとも消費者の懐から出ていくお金が、真っ逆さまに下降線を辿っているわけではなさそうだ。多数のライト層は失ったが、趣味とする熱心なファンによって、付加価値の高い消費行動に転化していると推測できる。

そのおかげで全体としては近年は1990年代に迫る勢いだ。ただ、この産業構造の変化によってアーティストやレコード会社などへの分配がどのように変わったのかは不明である。

大げさな類推

もしかすると、音楽ソフトの縮小と相反するライブ市場の勃興は「大衆文化から文化へ」の移行期間と言えるのかもしれない。私達は、かつて様々に流行した「大衆文化」が、時代を経て「伝統芸能」や、単に「文化」と呼ばれるようになった事を知っている。大衆からコアなファンへの固定化が進み、静かに文化として定着する過程を私たちは見ているのだろうか。流石に大げさすぎか。

売上再浮上のためには (偉そうな提言)

おそらく音楽ソフトの売上が再び90年代のように戻ることはないだろう。とは言え下降線を辿る行く末を「時代の流れ」と見ているだけでは、止められるはずの落ち込みも防げない。少なくとも現状維持。もしくは再浮上を目指すべきはずだ。

本稿的には、先の三要素である「多様性」「双方向性」「自己完結性」を高いレベルでどうにかして満たす必要がある。ではどう満たせばよいのか。

まずは多様性。しかし音楽業界が「ネットそのもの」と「多様性」を争点にして真っ向勝負するわけにもいかない。ネットの中に存在する多様性の一つとして「音楽」がある。そういう状態を創らなければならない。ネットの土俵の中で他のサービスより際立った優位を見せつけなければならない。そのためには利便性と価格面と更新量で勝負する必要がある。そういった意味では「音楽配信サービス」は現状及第点をつけることが出来るのかもしれない。

繰り返しで恐縮だが、日本の音楽業界は海外の音楽配信サービスが始まるより先に、国内で率先して独自のサービスを始めるくらいの気概が必要だったはずだ。権益の保護ではなくレコード会社の枠を超えて本気で取り組むべき課題だったはずだ。これは日本全体が抱える「ソフトウェア産業の出遅れ」が顕著に現れた典型例と言っていいだろう。この辺に興味がある方はこちらの記事「電子立国シリーズを未来から見た感想」もどうぞ。すでに90年代初頭に番組制作ディレクターが予言している。

一つ飛ばして、次に「自己完結性」。こちらは元々音楽が備えている性質であるし、これもやはり「音楽配信サービス」などのお陰でネットから利用できるので、ネットの持つ自己完結性に内包されたため、ネットの持つ自己完結性と同等となっている。この点については特に申し分はないだろう。

最後に「双方向性」。現在の音楽業界にもっとも足りないのはこれだろう。ネットのない時代では圧倒的なプロモーション力を背景に、物理的なソーシャルネットワーク(すなわち友人との会話などの口コミ)で高い双方向性が維持されていたが、現代ではそれはあまり意味をなさない。ネット上で双方向性を実現しなければならない。ではどうすれば良いのか。今ある「音楽配信サービス」にヒントがあるので紹介したい。

私はこの記事を書くにあたり、いくつか「音楽配信サービス」に加入したが、音楽配信サービスのAWAにはSNS的要素が加わっていて、他のサービスより「気になる」要素がある。特に音楽を聴きたいと思っていなくても、大した理由もなく「アプリを起動しようかな」と思うのだ。なぜなら、自分の作ったプレイリストの再生回数や「フォロワー」や「いいね」に相当する他人の評価が可視化されているからだ。Twitterや他のソーシャル媒体と同様に、カジュアルな承認欲求や自己顕示欲が満たされる仕組みがある。

下記の記事で、詳細に音楽配信サービスについてレビューがなされているが、私も同感である。その一部を抜粋する。

Apple/Spotify/AWA等、音楽ストリーミング主要6サービスを徹底比較

改めて課金したのは調査目的であった。しかし実は今現在一番よく使っているのがAWAである。これは私自身まったく予想していなかったことである。(中略)

このように欠点ばかり目立つAWAなのだが、なぜ私がSpotifyよりも多く使うことになったのか。他のサービスには存在しない唯一無二の魅力が存在するためである。それは「プレイリストを共有する楽しさ」である。(中略)

AWAでは、プレイリストを共有するとかなりの高確率でリアクションが来る。数こそ少ないが、しばらく続けていると、見ず知らずの利用者からフォローされたり、プレイリストを公開すると必ずFavoriteしてくれたりするような緩やかな繋がりが生まれる。時に公式マークのある著名人がプレイリストをお気に入りに入れてくれたりもする。通知機能もあるので、誰かがFavoriteしてくれるたびに、ついアプリを起動してしまう。

これは、単にTwitterなどのSNSに連携するのではなく、独自のSNS的要素が盛り込まれている必要があることを示唆している。AWAは上手くそれを取り込んだ格好だ。

しかしもっと踏み込んでいいだろう。1曲毎に感想を付けられたり、プレイリストに感想を投稿できてもいいだろう。筆者の貧困な発想だとAmazonの商品レビューの仕組みがもっとも適しているように感じている。レビュー自体は会員でなくとも閲覧も投稿もできてもいいかもしれない。

さらには利用者同士で直接コミュニケーションが取れたりできれば満点だろう。それらをTwitterなどに流すボタンをつければいい。特に曲そのものに感想が書けるのは重要なはずで、投稿者単位で表示できる必要もある。「この人物のレビューなら別の曲の感想でも読んでみたい」と思うことはあるはずだ。大絶賛されていれば「購入してでも聴きたい」と思うこともあるだろう。

私は曲の感想を見るためだけにAmazonの販売ページを開く時がある。思いがけず名曲に出会ったと確信を抱いた時、他者の感想が気になる時がある。「私と同様にこの楽曲に特別な感情を抱いた人は他にいないのか」と。

熱心な音楽好きから私のようなライト層まで、自宅にいながら気楽に他人の論評を眺めたり、価値観の交換ができれば、それは相当な暇つぶし的価値がある。サービス特有のコミュニティーや情報発信が生まれるという意義は計り知れない。なぜそうしないのかが不思議なくらいだ。専有時間が増えて、更に音楽を聴く時間が増えるはずだ。それによって新たな購入への動機ともなるし、熱心なファンへと誘導することも出来るだろうし、ライブへ赴く動機ともなる。

※:上記で「なぜそうしないのか」と憤ってはいるが、AWAは定額専門なので曲ごとの購入がそもそも出来ない。すなわち購入への動機や導線を作る意味がないという寂しい環境であるため、そのへんを工夫しても開発・運用コストばかり掛かるのでしていないのだろう。曲単位の購入までできるのはApple Musicなどだ。

この形が全てではないはずで、「多様性」「双方向性」「自己完結性」をどのように実装するかを常に検討し続ける必要がある。実現可能性をすっ飛ばした思いつきで恐縮だが、例えば、音楽配信サービスがLINEやDiscordなどのプラットフォームと連携して、ユーザーが今聞いている曲を表示するだけでもだいぶ違うだろう。「アイツは今こんな曲を聞いているのか」と分かるだけでも随分と「双方向性」は上がる。「インスタ映え」のような「見せたい自分」と音楽プロモーションが融合する。Apple Musicには似たような機能がある模様。

ネットを見習いながら、更にその先を模索する必要がある。「いい音楽なのに売れない」「いい音楽だから買ってくれ」と嘆いているようでは社会状況を見誤っている。

まとめ

まとめると次のようになる。

音楽ソフトの売上減少の原因は「ネットのせい」となり、何故かといえば「暇つぶしの王様であるネットに、量的にも質的にも時間や体験を奪われたから」となる。再浮上のためには「双方向性」が鍵となる。

そして、日本の音楽業界全体が衰退しているかについては、「音楽ソフトの売上は確かに落ち込んでいるが、近年のライブ市場の勃興によって、市場全体の規模はある程度の水準を維持しているので、一概には言えない」となる。

また、世界と日本の対比について付け加えておくと、「近年、世界市場では配信サービスの売上が全体を押し上げていて回復傾向にあるが、日本では配信サービスの伸びはみられない」となる。

今後も世界の音楽市場の動きと合わせて、国内市場の推移や動向を見ていきたい。

おまけ その1 – 人口推移

日本の人口推移は下図となる。主な購買層となる15~64歳人口は1995年をピークとしている。ちなみに全体のピークは2010年。図1などで示した音楽ソフトの売上減少スピードに比べると緩やかで、主たる要素ではなさそうだ。とはいえ原因の一端となっていることも間違いがないだろう。音楽業界、ひいては日本経済全体が構造不況と言われたように、90年代後半は様々な負の要因が重なり、具体的な現象として発現してしまったのが見て取れる。

出典:政府統計の総合窓口(e-Stat)

実際の音楽の購買層は13歳頃からだとは思うが、上記でも全体の把握には十分だろう。

おまけ その2 – ゲーム売上推移

ゲームの国内売上の推移は下図。基本的には音楽と同様にネットの登場でゲームも売上を落とした。2006年の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS Lite」が驚異的に売れたため一時盛り返しているが、それを除くと下降傾向だ。ところがネットこそが軸だとして足場を移したソーシャルゲームなどのオンラインプラットフォームはそれまでのゲームの市場規模を凌駕するほどに成功を収めている。

出典:ファミ通ゲーム白書CESA

オンラインプラットフォームについては、2004年以前の統計資料に当たれずグラフから欠落しているので注意。

本稿の都合のいいように解釈すれば、「ネットの登場で家庭用ゲーム機も、2000年台は「暇つぶし」としての役割をネットに奪われた。ところが2010年以降はスマートフォンなどの発達に伴いネットと融合し「暇つぶし」としての地位を取り戻し、90年代後半の売上をも凌駕した」となる。

後付けなのでどうとでも言えることではあるが、「ニンテンドーDS Lite」の売上も「暇つぶし」として優秀であったからだ。2007年のiPhoneの登場を考えると、任天堂の先見性に関心せざるを得ない。

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