なぜ日本の音楽業界は衰退したのか

音楽が大衆文化の頂から転落した要因として何があったのか。「本当に転落したのか」という所に異論があったとしても、それまで業界が保持していた社会への影響力を、驚くほどの速度で失っていったのは誰も否定できないだろう。

その原因を探るべく、もっぱら日本レコード協会やWikipedia※1や総務省などを参照し、CDや配信などの売上やチャート順位、各賞の受賞作品、視聴率や社会情勢などの推移を眺めた。興味を惹かれた作品や人物については、本稿の趣旨からして相当に皮肉な格好となってしまうが、youtubeやamazon music※1で楽曲や映像も確認したりした。

※1:Wikipedia、youtube、amazonという並びで、既に本稿の結論が漏洩している。

ネットにある主な説

まずは、ネット上でぱぱっと検索して見つかる主な説を見てみる。

  • そもそも良い音楽が無くなった
  • 音楽業界や団体の失政(CCCDやJASRACに対する意見が多い)
  • 違法コンテンツ
  • youtubeなどの出現
  • テレビの衰退
  • レンタル店、中古市場の氾濫
  • 特定の人物やグループなどが悪影響を与えた
    (小室哲哉氏やAKBグループ(秋元康氏)に対する意見が多い)
  • 趣味の多様化
  • 少子化

上記に書いていないものも多数あり、説得力のあるものから、疑問を挟みたいものまで多岐にわたる。おそらくその影響は大小様々で、中には首を傾げるものもあるが、そのほとんどはどれも少しずつ正解なのだろう。

しかし「どれもこれもが原因だ」とされると、認知整合性の座りが悪いからだろうか、なにか腑に落ちない部分がある。どこかで「AならばBだ」と単純な図式でスッキリしたいと願っているお子様な自分がいる。自身の知能レベルで理解可能な抽象度で捉えようとすれば、擬似相関に足元をすくわれるのは目に見えているのだが。

記事の動機と目的

そもそもこの話題は、純粋に考察対象として非常に面白いため、私のような個人の感想から、しっかりとした大学などの論文まで様々な論説が目白押しだ。非常に身近な話題でありながら、様々な社会や環境の変化を辿ってきた複雑さもあるため、着眼点に個性が出る。さらには、陰謀めいた話や、業界や団体を利権構造として見ることで、盛者必衰の理に「ある種の庶民的な痛快さ」を得ることも可能だ。また、手軽に統計データを入手できる点も、(本稿のように)それっぽく客観性を付与しやすく、面白さにつながっている。

したがって各人の切り口で自由に論じることが可能だが、この面白さと引き換えに、様々な要因がひしめき合っているため、フワッとした結論になりやすいという弱点もある。

ということで本稿では、結論を一言で分かりやすく済むようにまとめたい。様々な説を否定するものではなく「ざっくりと言えばこうなる」ということを示したい。何より私の鶏頭で理解できるようにしたかった。

急で乱暴な結論

結論としては一言で済む。「ネットの登場」だ。それを言ってしまえば「あたりまえだ」「身も蓋もない」「面白みがない」という野暮なものではあるが、真正面から言い切っている言説は意外と少ない。当然重要なのは「ではなぜネットの登場で音楽業界が衰退したのか」となるが、こちらもあまり見かけない。

説明があったとしても、どうしても具体的な各論に分岐してしまう。例としては、上記にもあるように「youtube」や「違法コンテンツ」や「テレビの衰退」がそうで、この辺りの言説は少ないどころか逆に巷に溢れかえっている。しかし「なぜそうなったのか」という論点は少ない。

各論に分岐することや、論調や結論そのものが、誤りだとか悪いというわけではない。しかし個人的には、綺麗に着地しているように感じ取れなかった。

したがって、「ネットのどのような影響力が原理的に働いたのか」についてある程度考えたい。また「本当に音楽業界が衰退しているのか」という点についても触れたい。

ネット普及率と音楽ソフトの売上

ようやく本題。まずは国内のネットと音楽業界の関連を見てみる。下図の通り、音楽ソフトの売上は1998年をピークとして規模は右肩下がりだ。これを見る限りは「衰退している」と言って差し支えないだろう。そしてそのころ、丁度ネットの普及が始まっている。

気をつけたいところとしては、この2つの相関について、客観的な因果関係を示すことは困難か不可能で、「相関関係は因果関係を含意せず」を原則として見る必要はある。従って私の個人的な見解として眺めて欲しい。

出典:日本レコード協会総務省 2005年から配信実績(ネット配信)が統計に加算されている

一般にネットが手に届くようになったのはWindows95の登場からと言われている。日本での発売は1995年11月23日だ。NTTのアクセスポイントの事情などもあり、実質的には1996年頃から普及が始まっているとされていて、グラフと合致している。

世界の傾向

このネット登場による音楽ソフトの漸減の傾向は日本だけの話ではなく、世界中で似たようなことが起きている。世界の売上の推移は下図のとおりだ。

出典:GLOBAL MUSIC REPORT 2017(IFPI)

ただ世界と日本で違うのは、世界ではネット配信の伸びが大きく、産業全体をも押し上げるほどの売上となっている点だ。2010年には下げ止まり、さらには2015年からは回復基調になっている。このとこから楽観的な見方をすれば、日本もどこかでネット配信が伸びて底を打つという期待はある。

付け加えておくと、下図の通り、日本の音楽市場規模は今でも米国に次ぐ2位(2016年時点)で、世界と比較すると、これでも非常に売れている部類だ。したがって、未だに「売れすぎている」という見方もできるため、手のひらを返して悲観するならば、底打ち反転はまだまだ遠い可能性がある。

出典:世界の音楽売上データ(Wikipedia) / IFPI

ネットがもつ鬼畜駆逐要素

では何故、ネットの登場で音楽ソフトの売上は落ちたのか。音楽の衰退に関連するネットの要素を3つに分解して説明する。3要素とも「暇つぶし」がキーワードとなる。そして本稿の核心部分でもある。

多様性

ネットの登場によって、それまで文字や画像、音、映像を、独占的に扱っていた産業が割りを食った格好となる。一つのディスプレイを介して様々なコンテンツを扱えるようになったその多様性の破壊力は凄まじい。

最も顕著なのは出版の中でも雑誌だろう。ネットには、個人のつぶやきから偉人の半生までもが、何のハードルもなく並列に存在している。ファッション、芸能、レシピ、旅行など、元々雑誌が得意としてきた分野も例外なくネットに置き換わっていく。

下図の国内の雑誌の売上を見ても、やはり90年代後半から直滑降で滑り落ちている。かつての暇つぶしの代表格は呆気なく散っていく。

出典:出版科学研究所

一方、雑誌以外の書籍電子書籍と合わせれば踏みとどまっているのがわかる。このことから「趣味や価値観の多様化によって消費が分散、目減りした」という言い方よりも「暇つぶしの行動先がネットに置き換わった」のほうが近いと感じる。

元々あった古典的な暇つぶしの多くは、そのままネットで代替されたり、ネット上の行動に時間を奪われて駆逐されていった。

双方向性

人間は双方向性の奴隷と言ってもいい。ゲームやコミュニケーションツールの発達がそうで、これらは人を瞬時に没入させる働きが大きい。人はリアルタイムの反応にどうしても敏感にならざるを得ない。相手が生きた人間ならなおさらだ。

双方向性が明確で、敷居もそれなりに低い暇つぶしとして、ネット以前に地位を獲得したのは恐らくゲーム機だろう。古くはファミリーコンピューター(1983年)などの据え置き機や携帯機が、時代や技術的な背景を伴って爆発的に売れた。急速に市場規模を拡大し、社会現象にまでなったのもうなずける。

ネット登場後、ゲームやコミュニケーションツールは次々と形を変えて進化した。黎明期はチャットや掲示板が登場して瞬く間に広がった。現代では更に進化したインタラクティブ性を我々に提示し、ソーシャルゲームやSNSが席巻している。気づかぬうちに莫大な時間を消費している。

自己完結性

これはネットだけではなく、雑誌や音楽も備えている性質で、ほとんどの「暇つぶし」が備える重要な要件だ。「少なくとも一人で実行できる」ということになる。ちなみに、音楽は複数人を許容する自由度がある。雑誌はネットと同じく基本的に「お一人様向け専用コンテンツ」となる。

ところが、ネットの自己完結性は雑誌や音楽よりも、もう一段進んでいる。移動が不要だという点でさらに閉じているのだ。

もし科学が発達し、SF作品のような電脳化などが起これば、外部との物理的なインターフェースも不要になり、更に閉じた系に達する。

例えばネット以前では、本でもなんでもいいが、新たな体験や情報に触れようとする場合、どこかの店舗で購入する必要が出てくる。遠ければ面倒だし、夜中だったら店がやってない。という具合に多くの制約がかかっている。しかしネットであれば移動不要で昼夜を問わず、新しい体験を得られる。閉じきっている。

また、複数人と遊ぶネットゲームだとしても、自己完結性が保持されるように、かなり丁寧に設計されている。コミュニケーションツールも同様だ。そのおかげで思い立った時に始めて、いつでも終わることが出来る。他者と遊んだり何かに参加することと、自己完結性が綺麗に同居している。これでは他の暇つぶし達がかわいそうなほどの戦力差がある。

この「多様性」「双方向性」「自己完結性」の3つの側面を同時に持つ、「暇つぶしの王様」とも言うべきネットの登場によって、従来からの「暇つぶし産業」の多くは敗北していった。手軽で安価で、極めてプライベートな空間を維持したまま、双方向性も兼ね備えた異次元の暇つぶし手段に勝つことは容易ではない。

この転換によって人は音楽に費やす時間が大きく減少したはずだ。時間だけでなく質的にも変化し、「真剣に耳を傾けて聴く体験」が失われていった。音楽はジッと構えて歌詞やジャケットなどを握りしめて熱心に鑑賞するものではなくなり、何かの片手間に流れるものへとシフトした。

テレビも雑誌も新聞もその他の多くが、ネットによって塗りつぶされた。自動車なども含めていいかもしれない。一方、ネットを主戦場とする産業やプラットフォームは急速に拡大していくことになる。

少し本稿の趣旨から離れるが、テレビ会社や流通小売などがプロ野球の球団を手放す中、ネット系の企業が続々と球団を手中に収めていった姿は象徴的だ。近年は全てネット系の企業による親会社の変更となる。更に遡れば、かつては多くの映画会社が親会社であったことからも、球団は時代を反映するバロメーターとしてみることが出来る。映画→新聞テレビ→ネットと綺麗に時代が変遷している。

2005年:近畿日本鉄道→ライブドア(2004年に参入の表明があったが色々あって未遂)
2005年:近畿日本鉄道→楽天(移行ではなく合併に伴う消滅と創設)
2005年:ダイエー→ソフトバンク
2012年:TBS→DeNA

時代が要請した音楽特需

言い換えれば、90年代もしくはそれ以前に音楽を楽しんでいた大部分の層は、「仕方なく」音楽を聴いていたとも言える。「仕方なく」はやや誇張した表現ではあるが、悪意があるわけではない。音楽そのものに魅力があったからこそ、成し得た隆盛なのは間違いがないが、俯瞰してみれば他に選択肢がなく、時代がある程度強制していた側面はあるだろう。言い換えれば、巨大なライト層を丸抱えしていた産業だったのだ。

いまでも熱心に聴く音楽ファンは、それを明確な趣味としている人々であり、コアな層となる。ライブなどの興行が堅調なのも、コアなファンがしっかり足場を固めているからだ。したがって現在は「音楽は趣味の一つとしての位置に戻った」「戻りつつある」と言うことが出来るのかもしれない。今までがライト層が多すぎたのだ。

上記の類推を現在に当てはめるならば、現代ではネットを「仕方なくやっている」「時代が強制している」と言えるのかもしれない。別の暇つぶしの手段が発達したもう少し先の未来から今を見れば、そう映る可能性がある。

音楽ライブ市場からみる現状

ネットが暇つぶしの天下を握った今、音楽業界では何が起きているのか。起きていないのか。

時代の要請で無自覚的にライト層となっていた群衆は、確かにどこか(ネット)へ霧散してしまった。しかし、暇つぶし「ではない」熱心なファンはむしろ増えている。それを裏付けるデータがある。

下図は国内の音楽ライブの興行成績で、公演数売上も右肩上がりだ。特に近年の急成長については、過去の反省を踏まえると、バブルが弾けるように下降してしまうのではと心配したくなるほどだ。

2016年に売上が下がっているのは2016年問題と称する会場不足が原因だろうか。

出典:コンサートプロモーターズ協会

グラフや資料などを見ていると、90年代が異常であっただけで、むしろ今は水面下で「健全に成熟していっているのでは」という気もしてくる。本稿の冒頭で「本当に転落したのか」という問いを挟んだのは、このライブ市場の動向が引っかかったからである。

事実、図1の音楽ソフト生産実績と、図3のライブ市場の売上を合算すると、それほど悲観する状況ではないかもしれない。2000年代の落ち込みには肝を冷やしたはずだが、ライブ市場に活路を見出していることがわかる。

これを見る限り、少なくとも消費者の懐から出ていくお金が、真っ逆さまに下降線を辿っているわけではなさそうだ。ライト層は失ったが、趣味とする熱心なファンによって、付加価値の高い消費行動に転化していると推測できる。

そのおかげで全体としては近年は1990年代に迫る勢いだ。ただ、この産業構造の変化によってアーティストやレコード会社などへの分配がどのように変わったのかは不明である。

大げさな類推

もしかすると、音楽ソフトの縮小と相反するライブ市場の勃興は「大衆文化から文化へ」の移行期間と言えるのかもしれない。私達は、かつて様々に流行した「大衆文化」が、時代を経て「伝統芸能」や、単に「文化」と呼ばれるようになった事を知っている。

大衆からコアなファンへの固定化が進み、静かに文化として定着する過程を私たちは見ているのだろうか。流石に大げさすぎか。

まとめ

簡単にまとめると次のようになる。

音楽ソフトの売上減少の原因は「ネットのせい」となり、何故かといえば「暇つぶしの王様であるネットに量的にも質的にも時間や体験を奪われたから」となる。

そして、日本の音楽業界全体が衰退しているかについては、「近年のライブ市場の勃興によって、市場全体の規模はある程度の水準を維持しているので、一概には言えない」となる。

今後も世界の音楽市場の動きと合わせて、国内市場の推移や動向を見ていきたい。

おまけ その1 – 人口推移

日本の人口推移は下図となる。主な購買層となる15~64歳人口は1995年をピークとしている。ちなみに全体のピークは2010年。図1などで示した音楽ソフトの売上減少スピードに比べると緩やかで、原因の一端ではあるがメインの要素ではない事がわかる。

出典:政府統計の総合窓口(e-Stat)

実際の音楽の購買層は13歳頃からだとは思うが、上記でも全体の把握には十分だろう。

おまけ その2 – ゲーム売上推移

ゲームの国内売上の推移は下図。家庭用向けは2006年の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS Lite」が驚異的に売れたため一時盛り返しているが、それを除くとやはり下降傾向だ。代わりにソーシャルゲームなどのオンラインプラットフォームの売上が急増している。

本稿の都合のいいように解釈すれば、「ネットの登場で家庭用ゲーム機も、2000年台は暇つぶしとしての役割をネットに奪われたが、2010年以降はスマートフォンなどの発達に伴い暇つぶしとしての地位を取り戻し、90年代後半の売上をも凌駕した」となる。

出典:ファミ通ゲーム白書CESA

オンラインプラットフォームについては、2004年以前の統計資料に当たれずグラフから欠落しているので注意。

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