今年もM1グランプリを見た。年間を通してお笑いの番組を見ることはほぼないが、M1だけは見ている。こんな素人だが、今年は気になったことがあったのでメモしておく。
毎年そうだがどの組も面白かった。順位や優勝者などに異論もない。涙を流して笑ってしまった。「あとは年を越すだけになったな」そういう気分になった。
さて、私が今年のM1で一番気になったのは「さや香」だ。恥ずかしながらずぶの素人なので全くの初見だった。そして物凄く面白かったのだが、番組内での順位(7位)に異論はない。妥当だろうと思う。漫才としては他の組が優れているのは間違いなかった。
しかし私は彼らを見ていて、新しい宝石でも発見した可能ような気分になった。一方で既に知っているような既視感もある。なんだかよくわからない気分になった。今でも「この感情は錯覚なんじゃないか」と問い直している。
彼らの漫才が終わり、私はその漫才に笑いつつも半ば呆然としてた。何か新たな時代が始まるんじゃないかという、とんでもない広大な期待感だった。正直期待し過ぎかもしれない。訂正した方がいいかもしれない。期待しすぎなのは間違いがない。それでもなお「なにか新しい人材が出てきた」という高揚感は否定できなかった。
この「うまく言葉で説明できない感覚」を誰かに表現してほしいと思い、漫才の審査が終了した後の審査員の批評に注目していた。私の心理をうまく代弁してほしいと思ったのだ。
上沼恵美子氏の評はこうだった。「彼たちは、漫才から離れてもスターになる気がする」。これは私のこの感覚の別の表現だろう。彼女と私の感覚が同じかどうかは分からないが、素人の私も、上沼氏も彼らに何かを見てしまったのは間違いない。
ただ、他の審査員は既に彼らを知っているのか、それほど真新しいものを見たという雰囲気ではなかった。
久しくお笑い界においてパラダイムシフトがない。ダウンタウンの凄まじさはやはりとんでもない。若手芸人と呼ばれる年齢層が40代にまで上昇してしまっているのも、ダウンタウンとその世代の芸人が衰えを知らずに第一線で走り続けていることと無関係ではない。
パラダイムシフトはそうそう頻繁に発生するものではないし、別に起こさなければならないものでもない。漠然とだが、少なくともダウンタウンが一線から退いて数年経たないと起こりようもないだろうとは思っている。
ただ私は見たい。ダウンタウンが起こしたようなパラダイムシフトを体感したい。テレビの影響力の低下や社会自体の変化があるので、彼らの時と全く同じような転換が起こるわけではないだろうが、時代を代表する芸人が誕生する瞬間を私は見たい。
「さや香」にそれを期待するのは、ともするとお門違いというか、錯覚が行き過ぎていると言われればそれまでだ。上沼氏の言うように「お笑い」とは別の世界で活躍するのかもしれない。
誰でもいい。本当に若い芸人が、一気に一時代を築き上げ、成し遂げる様を目撃したい。そんな期待感を煽る一瞬の煌めきを彼らに感じて、ますますその思いを強くするM1だった。