町の洋食屋と米沢牛と美容整形

いんせききぼう

3月のある日。「春の到来だ」とニュースか何かで聞いた昼の陽気とは一転して、随分と冷たい風が懐に入り込んできていた。上着の横から冷たい空気が入らないようにするためなのか、寒さに身構えるためなのか、自然と脇を閉めて腕にも力が入る。寒い寒い。夜も22時を回り、人通りも少なくなっていた郊外の見知らぬ通りで、今日一日まともに食事をしていないことを思い出していた。

歩いているとあまり清潔感のない「町の洋食屋」といった佇まいの店が目に入る。開店中なのか閉店しているのかわからないような、やや薄暗い光が洋食屋からこぼれていて、風にはためくのぼりやメニューを見ると米沢牛の文字が踊っていた。「よし今日はこれかな」と入り口に移動し扉の窓から店内を伺う。しっかり中を確認したい気持ちもあったが窓は小さく視野が狭かったのでよくわからない。ジロジロ覗いているのも変だなと思い、すぐに扉に手をかけて「エイ!」と店に入った。

店に入ると私を特に追い出す素振りもなく営業中のようで、結構な年季の入ったテーブルや椅子が視界に飛び込んできた。全20席ほどのこじんまりとしたお店だ。外観の印象通り言い過ぎを恐れずに言えば「清潔感は捨てている」店だった。とは言えホコリ等は無いので、内装やインテリアの経年劣化が進んでいるだけで汚いわけではない。ある意味居心地の良さそうな店だった。

テーブルには元々は透明だったであろう黄色みを帯びた厚さ3mmほどのビニールシートが掛けられていて、そのシートとテーブルとの間にメニューが書かれた赤や黄色の紙が何枚も敷き詰められていた。

既に私の心は米沢牛で決まっていたので、水を持ってきた妙齢のウェイトレスにそこそこ値の張る米沢牛のヒレとサーロインの単品を頼み椅子にもたれかかって店内を見回していた。

私の他に客は二組。一組は若い男二人組で「やんちゃ坊主以上、チンピラ未満」といった風体で既に食事は終えており、ふたりとも無言でスマホを片手に一生懸命何かをしている。

もう一組は町の奥様方の晩餐会延長戦と言った具合で、6名の出来上がったお嬢さん達がダミ声でゲラゲラ笑いながらしゃべっている。孫がいてもおかしくないくらいの年齢層で、酒のせいもあってか年齢のせいか「この世に恥ずかしいことなどないのではないか」と思わせる迫力で陣取っていた。

改めてメニューをよく見ると米沢牛以外のメニューもそこそこの値段が設定されていることに気づく。ふと窓側に目をやると「お水はセルフサービスです」の札がある。この価格帯でセルフとは中々のバランス感覚の店だなと妙に関心しながら、「こんな夜ごはんも悪くないんじゃないか」と奥様方の宴に耳を傾けていた。

(続けたい)

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