なぜ日本の役者は演技が下手なのか

はじめに

日本のドラマに出てくる役者は何故あんなに演技が下手なのだろうか。ある程度真剣に考えたい。素人の戯言にすぎないが、単に悲観したり優劣のみを語るのではなく、もちろん煽ったり蔑むのではなく、理由を考えたい。

日本の役者のオーバーアクション

基本的に日本の役者は皆「\演技中です/」というマークを頭上に出っぱなしでセリフを喋っている。たまに上手い人がいるが作中1人でもいればいい方で、殆ど全員が演技者としての最低限の役割程度しかこなせていない。

最低限とは「言葉が聞き取れて、その時の感情はどのようなものかが分かる状態」となる。これはストーリが理解できるための最低条件だが、実際はこれでだけでは不十分だ。上記を満たすだけなら基本的に誰でも出来る。中学生のクラス演劇でも可能だからだ。

そして大概の演者の表情や抑揚は普通の人間よりどこかオーバーなものとなってしまう。最低限の条件を懸命に果たすためなのだろうか。どれもこれも大げさになってしまうのだ。

本来要求されるレベルは、そこで確かに生きていた人の姿として、ありのままに見せることだ。これが難しいことはわかる。ただ役者として仕事をしている以上、達成されるべき水準のはずだ。少なくとも見ているこちらが恥ずかしい思いをするような演技はやめて欲しい。そう信じたい。

ベテラン俳優とされる人でも下手な人が多い。上述の最低限の役割を演じるのが「小慣れている」だけで、「記号」として優秀だが役者としては不十分だ。小慣れているだけの中堅、ベテラン俳優は多い。

記号的な演技とは

物語の展開やキャラクターを明確にするために「わかりやすさ」を優先し、役者の演技が感情表現と説明セリフのみに終止する状態。今「どのような気持ち」でいるかを過剰に表現する状態だ。これでは役者は単に話を展開するための装置でしかなく、全ての心理状態が大げさにただただ便宜的に示されることになる。

特に顔の表情と視線の動きは常時オーバーな表現が用いられている。例えば「この人物は今怒っている」ということを視聴者に理解させなければならない時、安易な表現が多用される。目を大きく見開きどこかを睨みつけ、眉毛はこれでもかと険しく、口元は奥歯を噛み殺していれば役満だ。体中に力が入って拳でも握りながら何かを叫べばダブル役満となる。視聴者が馬鹿にされているのかと思うほどに、分かりやすい(つまりオーバーな)演技となっていることが多い。これは記号的といえるだろう。

ところが、普通の生きた人間(特に成人男性)は感情をたやすく表に出さない。従って、このような記号的な演技は生きた人間としてのリアリティを大きく損ねる。この記号的な演技や演出は、アニメではむしろ根幹をなす重要な図式だが、実写のドラマや映画では現実との乖離が甚だしく、「自然な人間の質感」を求める視聴者の鑑賞には耐えられない。実際の人間は、特定の物語を展開するための装置ではない。一人ひとりがそれぞれ主観体験を持った独立したストーリーを生きており、その集合がドラマとなっているはずだ。

人生があり人がそこで生き証として物語がある。そこに「たまたま無人のカメラがあったので我々はドラマとして鑑賞できている」という重要な建前が達成されていない。もろに「一生懸命演技をしている人」を見させられている。

今私は嬉しいんです。怒っているんです。という演技の状態を見させられているのだ。「ハイ、カット」という声が今にも聞こえてくるといえば意地悪すぎだろうか。

海外ドラマに違和感がないのは何故か

私は友人らの勧めもあり専ら海外ドラマ(字幕)、たまに映画を見ているが、日本のドラマで感じる演技の違和感を感じることは殆どない(ストーリーが突然ぶっ飛んだ展開になるのはご愛嬌)。演技面で見ているこっちが恥ずかしくなって、数秒で画面を閉じることもない。その理由として「海外ドラマは外国語なので演技の上手下手が見分けづらいからだ」という持論を持っていた。

海外ドラマは当然外国語なので、英語などのヒアリング能力のない筆者にとって演技の下手さ加減が少々わかりにくい。だから自然に視聴できるのだと思っていた。従って、私がもしネイティブ並みの英語力があったなら、海外ドラマでも「下手な役者の違和感を感じるはずだ」と考えていた。

「そう。演技が下手なのは日本人だけじゃない。欧米の役者も下手なはずだ。似たようなものだろう。ただ私が英語やフランス語を理解できないので下手さが伝わってないだけだ」そういう理解をしていた。

もう少し言い換えれば「海外の役者の演技の上手い下手を理解できない私が、ただただ日本の役者を責めるのはフェアじゃない」そういう発想だ。申し訳ないがはっきり言って「数秒で再生停止してしまうような日本の役者」に対して最大限の敬意を払った、私なりの結論だった。

ところが。

デーブ・スペクター 日本の役者の演技力に「ぶっちぎりで最悪」

どうやら海外のドラマは演技面でも優秀らしい。英語は当然ながら日本語もネイティブ並な彼から見た評価なのだろうから間違いないのだろう。

彼はもう何年も日本のテレビ畑で飯を食っている。一般人の私よりは実情を知ることが出来る立場であると同時に、この記事の内容では、最悪干されるリスクや、内外からの批判を買う可能性もないわけではない。それでも発信したということは、日本のドラマでも面白ものを沢山作って欲しいという願いが強くあるはずだ。

連ドラに出演する役者の8割は、とにかく芝居が大げさで「わたし、いま演技してまぁす!」と顔に書いてある。それに、喋り方が不自然だからセリフに集中できない。以前から不思議に思ってるんですが、日本の役者はセリフの途中に奇妙な間を一拍置くんです。「なんで、そういうことを、言うんだ、君は?」といった感じで。あと、セリフの語尾で息を吐きますよね。「この前さ(はぁー)、どうして(へぇー)」、と。溜めを作って聞きやすくしているつもりかもしれないけど、セリフが隙間だらけで素人っぽい印象しか残らない。だって、僕らが会話をする時に、そんな勿体ぶった喋り方しないでしょ。その上、すぐに感情を剥き出しにして怒鳴る。大声でセリフを叫ぶことが、気持ちのこもった演技だと勘違いしてるんだろうね。

私の持論は一部肯定的に否定されたことになる。すなわち、残念なことに日本の役者だけが下手なのだ。日本の役者に対する思いやりと同情は不要になってしまった。

この引用文章の後、日本のテレビ業界の問題点を指摘しているデーブ・スペクター氏だが、それも確かに大きな問題だろう。ぜひ改善してもらいたい。

しかし何故、揃いも揃って大部分の役者がこのような酷い演技になってしまうのだろうか。主演クラスにアイドルなどが起用されて下手なのはわかるが、ベテラン中堅クラスも何年も役者のキャリアを積んでいながら、皆どこかズレたような違和感を醸し出してしまう。なぜ「せいぜい小慣れた記号止まり」なのだろうか。あまりにも多すぎる。

日本の演劇界を素人が大上段から憂うという暴挙

日本のドラマの現場ではその「記号」がゴールになっているのだろうか。舞台演劇のような派手な感情表現がゴールになっているのだろうか。もしかすると脚本やシーン構成の都合上「記号」のほうが都合がいいのかもしれない。制作サイドがそう思っているとしたら物凄く悲しいことだ。

高水準な演技を見せる役者がこれほど少なく、層の薄い日本の事情を見ると「単に役者の能力が足りない」では説明がつかないように思えてしまう。そこで3つ原因を考えてみた。いずれも素人による大上段からの大鉈なので、とんでもない的外れとなっている怖さもあるが、思いついたまま記す。

1:現場で求められていない

一つは上述したように、「そもそも現場では自然な演技は求められていない」というものだ。どちらかと言えば記号的な演技が求められているのではないか。

物語を明確にするために、制作側は分かりやすい表現に頼りっきりになってはいないだろうか。短時間で効率よく登場人物のキャラクターや、その時々の感情を視聴者に理解させようとすれば、大げさ演技となってしまうのは想像がつく。

俳優は自然に演ずる能力がないのではなく、カット割りや脚本や演出の都合によって、記号的な演技が求められているのではないか。脚本の時点ですでにそうした演技が前提になっているとすれば、誰もが妙な違和感を出しながら演じているのも納得できる。

恐らくこの手法は前述の通りアニメや漫画に近いはずだ。アニメは基本的に途切れることのない溢れんばかりの感情の連鎖で成り立っている。

もう少し言い換えるならば、「現実の人間がおよそしない事を演技させられている」とも言える。ちなみに声優は現実ではありえないようなセリフ(例えば必殺技の名前を叫ぶ等々)や、普通の人がおよそやらないような独白や独り言などで、違和感を消して感情を全面に出す技術に秀でている。ただし実写で通用する技術ではない。アニメや吹き替えでしか使えない技法になる。

制作現場で積極的に記号的な演技を役者に求める場合と、役者の能力面などから仕方なく妥協している場合との両輪で、このような現状を招いている可能性がある。

役者の演技が下手ならば、誰にでも分かる記号的で安易な演技がOKテイクとなってしまうだろうし、一方で、現実に近い演技をされると、ストーリーのほうがわかりにくくなってしまうのかもしれない。

2:指導方法、指導者

もう一つは「日本全体の演劇界の指導で間違っている部分があるのではないか」というものだ。これは中学や高校など学校での演劇も含んでの話である。無礼や無知がどこまで許されるかは分からないが、「どこかに致命的な欠陥があるのでないか」と勘ぐりたくなる状況なのだ。

例えばスポーツでは間違った指導方法が全国的に何十年も続けられるというのは珍しくない。ウサギ跳びが間違った指導方法であったし、過去にはどんな炎天下であっても練習途中の水分補給は厳禁か、相当に我慢させられることが常だった。プロ野球のピッチャーは投球後にすぐさま肩肘をアイシングするが、昔はいつなんどきでも肩肘を冷やすことは言語道断だった。

スポーツでは科学のメスが入り込み、練習方法から食事に至るまで常識や習慣が次々に塗り替えられてきた。演劇界ではどうなのだろうか。演劇界にも何か演技指導や習慣として誤っている部分があると疑うことはむしろ自然だろう。

3:視聴者に求められていない

最後は視聴者だ。大部分の視聴者が役者の水準について文句がないのであれば、私のこの思いはまさにタワゴトで、無視すべきワケの分からない少数意見ということになる。もしそうならば「今のままで何ら問題がない」ということになる。

実際とくに問題になっているわけではないようなので、悲しいことにこの私の意見は少数意見なのだろう。気を取り直して、自分の意見を信じてパラフレーズすると「役者の能力が世間に正当に評価されていないのではないか」ということになる。

3つほど原因を考えてみたが部外者からは分かりづらい。残念ながらどれも現状に至る可能性を推測したに過ぎず根拠がない。すなわちほとんど妄想だ。詳しい人に話を聞きたい。

門外漢の無責任なアカの他人がここまで興味を引かれてしまうほどで、もはや純粋な謎解きとして扱えるほどの奇妙さがある。

私が求めるのは「確かに人がそこに生きていた」という「質感」だ。この「質感」は現場でも視聴者にも求められていないのだろうか。だとしたら非常に残念だ。

おわりに

以前、私がシン・ゴジラの感想を述べた。その趣旨は概ね本稿と同じだ。その記事を書いた一年後に、その内容を補強してくれる先のデーブ・スペクター氏の記事に出会った。個人的には同じ思いを抱く人がいるというだけで嬉しいわけだが、当然喜んでいい状況ではない。

水準の高い演者もいるのだ。頑張って欲しい。国産の質の高いドラマを沢山見たい。

コメント

  1. 八朔 より:

    ハリウッド俳優、アメリカのドラマ俳優などは大卒で演劇専攻者が非常に多いですね。そこで理論や演劇法など学び自然な演技についても学びます。日本は俳優になりたい人は、劇団などで舞台から入る人が主流で、ややもすると演劇のイロハすら怪しいアイドルやモデルなどが主役を務めます。舞台は当然大げさだし、その流れが映画界引いてはテレビドラマに波及し、それが当たり前で当然な事になってしまってるのではないでしょうか。

  2. inseki kibo より:

    ご意見感謝します。
    理論を体系的に学んでいるかどうかで基本的な水準に差があると言えそうですね。
    視聴に耐えられる役者で構成された素晴らしいドラマや映画をたくさん制作してほしいと願います。

  3. ignus より:

    演技を学んでいる、いないではなく監督が目指してる物の差じゃないでしょうか?

    日本人が監督(正確にはゲームディレクター)をしている英語で会話をするゲーム(サイコブレイク2、サイレントヒルシリーズ)等を見ても明らかに外国人の俳優を使ってるのにもかかわらず演技が「NHKの基礎英語」みたいな喋り方をしていました。

    日本の監督は「はっきりとわかりやすい」演技を求めている、つまり劇場で見る演劇のような派手でわかりやすい演技を役者に求めているんだと思います。

    演技を学んでいるから海外の役者が演技が上手いというのならば子役の演技に差がこんなにも出るのはおかしいと思うんですよ。ゲームオブスローンズ、ストレンジャーシングスの子役達が凄く自然な演技をしているのはやっぱり監督が求めている物の違いじゃないですかね。

  4. pulse より:

    長文失礼します。白人×日本人のハーフです。いままで日本と海外(アジア・アフリカ・北米・ヨーロッパ含む)、ちょうど半々くらいで生活してきました。
    個人的な意見ですが、私は日本人ほど普段から感情や表情、声、体を使ったリアクション等を表に出さない民族はいないと思っています(周囲への気遣い等の理由があっての事で、決して悪いことではないのですが)。アメリカの演技はオーバーリアクションではなく、基本的には普段の彼らの振る舞いや言い回し等をそのまま「現実」に近い感覚で見せるのに対し、日本の演技の場合、現実だと絶対に見せない表情や声、セリフ回しを「演じる」ことが多いので、リアル感が削がれてしまうのだと思います。欧米だと演技のナチュラル感(演技をしていない感)が一番重要視されますが、日本だと注目される部分が少し違っている気がします。
    海外育ちの日系人の友人が日本に移住するにあたって、日本語(特に敬語)や日本での常識(上下関係など)を学ぶために日本のドラマを見まくった結果、日本で就職してからさんざん上司に叱られたそうです。彼の上司いわく、生意気な話し方で自分の意見を言いすぎる、ドラマの主人公のつもりか、等と言われたそうです。「ドラマでは目上の人に対しても格好つけてろくに敬語を使わないような役の人もいるけど、現実だとそれは日本ではあり得ない事なんだよ」と教えてあげたのですが、じゃあなぜドラマだと許されるんだ?との問いに、その時はうまく答えてあげられませんでした。
    日本の場合、日常を舞台にしつつ非現実的に感情や表情を映し出すことに重点を置くようになったのでは、と考えるようになりました。あるいは普段感情を表に出さないからこそ抱いてしまう一種の憧れや、監督が理想とする社会の投影なのかもしれません。そのせいで、「感情が高ぶっては路上で叫ぶ」等の「ありえない」演技をしてしまうのかも。個人的には、超リアルでナチュラルな日本の映画やドラマが観てみたいのですがw

  5. 匿名 より:

    これを読んでいて思ったのですがinsekiさんが演技が上手いと思う役者は誰でしょうか??

  6. inseki kibo より:

    ご意見ありがとうございます

    ignusさん
    やはり現場で求められていないということも大きそうですね。
    現場でも役者に対して分かりやすい記号やアイコンとしての役割が期待されてしまっている可能性が高そうです。

    pulseさん
    他文化を肌身で知る方からのご意見参考になります。
    私の過去の記事で恐縮ですがシンゴジラの記事で記載した内容と共通点がありエピソードを楽しく拝見いたしました。

    匿名さん
    役所広司氏は見ていてこちらが気恥ずかしい気分になったりはしないです。
    その映画やドラマの世界の中で生きている人物として他の俳優より自然に視聴できます。

  7.   より:

    昨日やっていたるろうに剣心の映画で思ったけど、日本の俳優って
    とにかく叫び声や腕の動きで誤魔化すんだよね。アメコミ映画の
    アベンジャーズと見比べると、欧米の俳優は引き込む演技は上手いけど
    アクションシーンは下手糞な役者が多いと個人的には思った。これは
    ジョン・ウー(ミッションインポッシブル2の監督)もCNNで言ってたが
    白人や黒人は中国人と違って小さい頃から武術をやったことがないから
    殺陣は下手になるのは仕方ないらしい。じゃあ空手や柔道をやっている
    日本人はなぜ下手なのか、それは間違った演技指導が行われているから。
    英国ローレンス・オリヴィエ賞演出部門にノミネートされた蜷川幸雄の
    ドキュメンタリーを見た事があるが、この人はオペラや演劇の分野では
    最高峰と言われている。しかし、この人の演技指導は映画やテレビでは
    全くと言って良いほど生かされない。舞台俳優の演技が過剰なのは目の前の
    お客さんに印象付ける為にしているのが理由なのに、それを芸能界や映画
    会社が映画やテレビでも通用すると勘違いして演技指導しているからである。
    あとチャーリー・シーンが昔サタデーナイトクラブで、過去に共演した日本人の
    俳優やスタッフに対してこう苦言を言っていた。「あいつら普段死んだ魚の様に
    大人しいのにカメラがあると暴れるんだよね。そして日本映画に多いのは無駄に
    遠くから俳優を撮るシーン。あんなことをすれば背が低い役者をさらしているのに
    誰一人怒らない。日本で映画の作り方を教えていないから、こうなる」と日本の
    映画手法をバカにしていた。これを聞くと愛国心のある日本人は不愉快に思うが、
    冷静に考えて日本のテレビドラマがダメになった原因は、作り手側がハリウッド
    映画の人間よりもセンスがないのではないかと思い始めている。

  8. TT より:

    この記事に非常に共感を覚えました。

    私は俳優の演技(特にしゃべり方)が実生活の中の日本人のそれと大きく乖離があること、および明らかに乖離があるのに、我々はドラマを違和感なく普通に見ていることが不思議に思えるのです。
    テレビの中の俳優のようなキャラクター化された表現と違って、実際の日本人は、例えば、半笑いの表情で目をそらしながら(多少上ずった声で)ぶつぶつしゃべるような人も多くいると思っています。
    小説のセリフにも同じことが言えます。「君はなぜいつも○○なんだ?」といった表現を実生活の中で話す人に出会ったことがありません。もっと言うと相手のことを「君」と呼ぶ人もほとんどいません。でも小説としては普通の表現であり、読み手も素直に受け入れます。

    私がこの「乖離」に気づいたのは、アメリカに行く機会が多くなった30代前半でした。確かに、アメリカ人の普段の表現とアメリカのドラマの中の演技の表現にはそこまで乖離を感じません。むしろ普段のアメリカ人のコミュニケーションの仕方が、私からするとドラマのように見えます。
    日本にいるオーストラリア人とアメリカ人から「テレビの中の日本人と実際の日本人が違い過ぎる」とそれぞれから言われたことも、この「乖離」を一層意識するきっかけとなりました。

    私なりのこの乖離の考察:
    いくつかの複合的な要因でこのような状況に至ったと考えています。

    ・人間像の標準は欧米風という前提
    日本の近代化や敗戦の歴史の中で、欧米的な人間像(平等な個人とその集合である社会を生きる人間)が「標準的」であると言う大前提が、もはや意識すらしない状態で基本動作しているのではないでしょうか。洋服を着ることに違和感を感じないのと同じように。つまりテレビの中の俳優の多少大げさな演技がどちらかというと「標準」という無意識の理解の基、鑑賞している。私を含め多くの日本人が欧米人と対峙するときに引け目を感じてしまうのも同じ理由かもしれません。

    ・日本語とマンガ脳
    養老孟子によると、象形文字である漢字と音を表す かな を混ぜて使うのは日本だけらしいです。これは漫画的表現と同じであり、だから日本の漫画は特異的に発達したのかもしれない、らしいです。日本人はそもそも象形(キャラクター)を違和感なく受け入れる素地があるのかもしれませんね。

    ・ドラマツルギー(ここはまだ浅い)
    我々は日常生活の中でも演技をしながら生活しています。日本の「店員さん」などの接客する人の大げさな表現は、見方によっては滑稽ですよね。我々の生活の中に紛れ込む「演技」の量と質が、テレビの中の演技に対する奇妙さを感じる感性を麻痺させているのかもしれません。

    リアルな日本人的な表現に肉薄するような演技で成り立つドラマをぜひ見てみたい。

    • ニート より:

      >テレビの中の日本人と実際の日本人が違い過ぎる

      だって漫画やアニメですらそうじゃん。明治時代の頃はまだ美人画でも、
      浮世絵のように実物の日本人を描いていた。ところが大正から突如色白で
      目が大きい日本人が絵に出てきた。まるで自分たちを他の黄色人種と違い、
      我々は白人と同じだと思わせたいようなキャラデザ。その時から既に西洋
      コンプレックスがあったんだろうね。で、案の定戦中では出っ歯、釣り目、
      メガネ、黄色い肌の典型的な日本人男が欧米のメディアで出てきた。その後、
      日本の映画やドラマでは七三分けのメガネをかけた「つまらないアジア人」が
      デフォになり、逆に香港映画や韓国映画では鍛え上げた肉体を持つカンフーの
      達人が出てくると、当時の若者は憧れた。ところが日本の漫画やアニメは北斗の
      拳やシティハンターで、どう見てもヨーロッパ人やアメリカ人の体型をした
      日本人キャラが出てきた。乱暴に言えば、「見た目が白人、姓名は日本人」という
      恐ろしいほど捻じ曲がった思想が日本を支配した。最近では金髪碧眼で、胸が大きい
      女の子に「柏崎星奈」と名前をつけ、現実に居る日本の女子を認めないようになった。
      恥ずかしいのはNHKのドラマ「マッサン」で東洋人の主人公と西洋人のヒロインを
      出して、「国際的」「日本人は寛容」とアピールしている。所詮「俺たち日本人は
      西洋と同じ先進国だ」と思いたいジジイとババアの妄想に過ぎないのに、未だに
      日本人は東洋コンプレックスがある。もちろん日本人全員がそういう考えじゃないが
      漫画やアニメでは実物の日本人を模したキャラは一切出てこない。かつて宮崎駿も
      言っていたが日本人を含む黄色人種は醜いと劣等感があることを告白した。そして
      情けないのは中国や韓国のアニメでも、見た目が白人かアラブ人のように見える
      アニメキャラが出てきて、悪影響を及ぼしている。そりゃ漫画の実写映画でコケるわ。

      • TT より:

        生まれた時から欧米モノサシで生きる極東人ってなんだか滑稽ですね。。美白・カラコン・自己責任論等々。。そして、この「捻じ曲がった思想」に支配されていることに大人になるまで気づかなかったし誰も教えてくれなかった。

      • 二階層 より:

        漫画の実写化がコケるのは作り手の能力の問題だと思うなぁ

      • 三階層 より:

        アニメキャラに人種なんか無いよ
        あれこそ役割を示すための記号なんだから

  9. 欧米崇拝さん より:

    役者でもなんでもない
    デーブスペクター一個人の意見が全面的に
    正しいという根拠はあるのでしょうか?

  10. ちんこ より:

    演技が下手なわけじゃなくてリアリティを追求すると
    終始淡々と進んでドラマとして面白くなくなるからだよ
    そもそも日本人は普段から感情表現が豊かではないし無表情だから
    日常の延長としてのドラマの世界をエンターテイメントに昇華するには
    過剰な演技が必要なんだよ
    海外ドラマが不自然ではないのはコミュニケーションの文化として
    外人はちゃんと感情を表現するからドラマにおいて多少オーバーに演技したとしても
    それほど不自然にはならないどころかそれがドラマのアクセントになる
    つまり日常生活をドラマにする土台が外国の社会、文化に存在するためだと思う
    だから結論としては役者の演技が過剰なのは我々日本人の日常が糞つまらないせい
    過剰な演技がなくなるとそもそも感情表現の演技自体がほぼなくなりドラマにならなくなるから

  11. bolton より:

    通りすがりのものです。

    どこまでリアリティーを求めるかってことでしょうね。
    日本だけなのか知りませんが、大体俳優さん女優さんは美男美女で
    特に主役級はそうですね。
    美男美女ばっかりで全然リアルじゃない。
    でも、視聴者の多くが美男美女を求めてる気がします。
    役者の配置等でも、役者同士が被らないように配置するし、
    出来るだけ後ろ向きにならないように配置する。
    食事のシーンなどでも明らかに現実的ではない配置になる。
    も~極端に言ってしまうと、今見てる映像誰が見てる映像だよって事になる。
    実際存在しない人の視線でとられるシーン等は
    神様目線なのかと言いたくなるが、説明の為に必要なので自然に感じてしまう。

    そういう記号的な演出を視聴者がどこまで許せるかの違いかな。
    日本の場合、能や歌舞伎のような「お約束」の動作をすれば
    視聴者が役者の感情等を汲み取ってくれる場合が多いように思います。
    それと、演技を見に行くというより役者見に行く
    という人の割合が大きいという気がします。

  12. ガッズィーラ より:

    何気なく「日本 役者 演技 下手」と検索してこちらの記事を見つけました。
    いきなり本筋と違うことを書くようですが、昨今いたるところににわか物書きの雑な駄文が溢れている中、こんなに丁寧でまとまった文章に出会えたことも嬉しい驚きでした。とても読みやすかったです。

    引用されているデーブ・スペクターの記事は削除されていて読めず、残念。
    2016年に書いていらっしゃる『シン・ゴジラ』についての感想は拝読しました。
    同じく私も、特に石原さとみのシーンは正視に堪えないと感じながら観ていたことを思い出しながら興味深く読ませていただきました。「被害者」とは、確かにその通りかもしれませんね。個人的にはあの映画では、前半でゴジラが熱線を吐いて東京が火の海となるくだりが気に入って劇場に2回行きました。美しい音楽と絶望感のコントラストが、たまらなく美しく感じてしまいました。

    日本の役者について常々感じていたことについて、inseki 様のこちらの記事やコメント欄を読んでいて様々納得したり感心したり致しました。
    様々ここに書いてあるような要素がそれぞれ相互に作用して今の状況を作り出してきたのでしょうね。

    ひとつ思い出しましたのは、『ガラスの仮面』で主人公のマヤがテレビドラマで演技することになり、それまでの舞台演技とのギャップに苦しむというくだりです。
    マヤではないですが、私はこの記事を読むまで、個人的には日本のドラマや映画の演技が大げさで下手なように感じられるのは、重要な役にアイドルやタレントを据えられることが多いという点もさることながら、他に起用される役者たちも、本来は舞台で活躍している畑違いの人たちだから(TVドラマ専門、映画専門の俳優というものが日本にはいないから)だと思っていました。
    inseki 様やコメントを書いた皆さんの認識と概ね重なる見解かとは思いますが、エンターテイメント先進国たる米国では俳優の活躍するフィールドがそれぞれ分かれていると耳にしますところ、つまるところ役者自体の数が日本では住み分けできるほど多くない、すなわち多くの役者を抱えられるほどエンターテイメント界、ひいてはマーケット側も育っていないのだろうなと思いました。inseki 様も書いていらっしゃるように、「観る側が求めていない」という側面です。

    また、大げさな演技、つまり役者もその演技も記号に終始しているという見解、まさにその通りだと思います。
    ある意味で歌舞伎から現代劇、テレビドラマに映画まで、日本人は仮面劇ばかりやっていると言えないでしょうか。記号的な演技はある種の仮面として機能しますよね。
    日本人のリアルを切り取ったような演技や演出では物語が生まれない、物語として成立させるために漫画的なまでに「キャラの立った」役柄を作り、役者全員の仮面的な演技でその世界を形作る。
    逆から言うと、表現するときは仮面を付けなければならない。なぜなら、「現実の私は表現をしない」から。

    正直なところ私は日本映画については、名作といわれるものや賞を取ったものでさえもあまり面白いと感じたことがなく、全体的に「暗い」「陰鬱」「地味」などというイメージを持っています。きっとそれらの作品がリアルなものだったからではないかと今振り返れば思います。ちなみに私も役所広司は好きです。

    すごい暴論かもしれないですが、こうして考えてみると、舞台芸術や美術、工芸、漫画などの分野、それかアニメならいざ知らず、日本人は映画やドラマというジャンルの作品作りにはあまり向いていないのではないかという気がしてしまいます。少なくとも、特にビジネス的には。
    なので日本の役者さんたちは舞台で見よう、という話ですね(笑)。

    ちなみに私が今までに見た日本の映画で、ずっと心に残っているのは、『嫌われ松子の一生』です。

    もっと書きたかったような気がしますがうまくまとめられないのでこの辺で。
    長文大変失礼いたしました。

  13. yenalchemist より:

    最近になりフェイスブックのシェアからたどり着きました。少し前の記事でも長く読まれているのは、しっかりした内容だからだと思います。

    興味深く読みました。insekiさま、コメントの皆様それぞれの視点から的を得てると共感しました。

    私の見解ですが、長文になるほどinsekiさまからの影響を受けたのだとお許し願えればと思います。以下はある側面からの表現になるので、全てがそうではありません。ご了承くださいませ。

    上手いと下手が求められ、下手だと上手いが求めらる。これは時代です。私たちは下手を観る時代に遭遇してます。

    ○昭和
    戦後テレビが普及しドラマが娯楽として観られ、視聴者が、“演技に見えない演技をする俳優”、に憧れを抱きました。一般人にはこんなことできない!視聴者の心を動かす演技を俳優たちがしてくれたのです。時代を反映した演技、とも言えるでしょう。視聴者はドラマから多くを共感し、人生に活かされたのでしょう。

    ○昭和の俳優
    もし演技のオリンピックがあったら、確実に世界一になっているであろう上手い俳優は渥美清さん。(男はつらいよはテレビドラマからスタートしました)

    本能剥き出しで人間の本能演技の世界最高峰の勝新太郎さん。(座頭市テレビシリーズ)

    戦後最も多くの観客を惹きつけるスター性を持った石原裕次郎さん。(太陽にほえろ、西武警察など)

    他にもたくさんいらっしゃいますが、視聴者の期待に応えるよう、演技を、ドラマ制作を追求した方々です。中には多額の借金を抱えるほど、演技にもドラマ制作にも人生をかけた方がいます。ちなみに、お三方とも若手の育成にも力を注ぎました。

    上手い俳優たちのドラマの時代がありました。古いですが、時間ですよ、岸辺のアルバム、おしん、北の国から、など。(向田邦子、山田太一、倉本聰、橋田壽賀子脚本作品全般)いつ観ても新しささえ感じます。何度も観れるドラマです。

    ○平成初期(90年代初期)
    90年代に入りトレンディドラマが流行し、ドラマがファッション(オシャレという記号)として視聴者にウケました。これは時代の流れです。バブルの影響もあり、貧乏、苦労ではなく、金持ち、贅沢など社会の流れとともにドラマのウケ方が変わっていきました。

    ○平成初期のドラマ制作
    視聴率の獲得の為、ドラマ制作側もファション的なドラマ制作の流れにのっていきました。ファッション的で、分かりやすく伝わりやすい、記号的なキャラクター設定、記号的な表現、記号的な演技です。ある程度の内容でオシャレな感じがあればいいんです。オシャレな感じに、お金と人が集まったのです。経済が動いたのです。(この頃はまだ上手い俳優が求められてました。)

    視聴率を獲得すると広告料が増え、テレビ局の収益があがり制作費もアップし、俳優も含めた人件費がアップします。袖の下も増えたと思います。視聴率を獲得すると皆が儲かったのです。

    ○90年代後期
    中身がないものはいつまでも長く続きしません。バブルが弾け90年代後半になってきて、トレンディドラマは儲からなくなってきてしまったのです。飽きられたと言っても過言ではありません。

    ○90年代後期の俳優
    収益が欲しいので広告主に対しての、キャッチーで好感が持てる演技が儲かりました。それが儲かると分かると多くの俳優が儲かる演技に寄せていきました。要領が良いと言いますか。その点は日本人らしいと思います。(要領が良いという点では世界水準だと思います)

    ○90年代後期ドラマ制作
    トレンディドラマで儲けることに味をしめたドラマ制作側は、広告ドラマで儲けようとというドラマ制作の流れになり、俳優は演技を上手くみせられる(要領がいい)が、制作側にとって上手い俳優の定義になっていきます。俳優も要領良くやった方が儲かるので儲かる演技の流れになります。

    上手い下手ではなく、広告を持っている俳優が起用される傾向になります。(映画でも制作費が欲しいので広告を持つ俳優が起用されるようになります。)テレビ局側も、俳優(キャスティング)からも広告収入が得られれば、あとは視聴率を獲得するドラマ制作に集中できます。この頃から、“ドラマ制作”から、“番組制作”への意識が強くになっていきます。

    ○90年代後期事務所
    広告を持つ俳優が所属する事務所側がイニシアチブを持ち始め、各事務所、俳優、ドラマ制作側、テレビ局側、どこがイニシアチブを持つかの駆け引きが行われるようになります。

    ○2000年代初期
    時代と共にテレビの存在価値が変わり、視聴者とテレビの中との距離感が近くなりました。テレビは娯楽というより、情報収集家電になりましたね。

    ドラマでいえば、隣の家の娘さんがドラマに出てるという近さに。しかもその娘さんが感動する演技なんかしちゃって。これはビギナーズラックです。何も知らないからできた。そうなると演技レッスンの意味がなくなりレッスンしなくなります。売れてる俳優はレッスンしてない、というのが増えました。ビギナーズラックの方が何も知らないから使いやすい、というのもあります。ビギナーズラックに広告も集まります。染まってない、クリーンな印象が広告としてはよかったのだと思います。

    しかしビギナーズラックは二作目三作目と長くは続かず、でも儲けたい事務所側が広告主にウケるように、好感がもてる分かりやすい演技を俳優に指示します。自分が消耗品と分かっていながらも指示に従う俳優。職を失いたくないですからね。表面的に臨機応変に対応できるような演技のした方になっていきます。いわゆる広告演技です。

    内情も知らず分かりやすい演技を観て、この程度なら私にも、僕にも出来ると思う隣の隣の家の娘さんと息子さんがドラマに出て。次から次へとビギナーズラックで演じ、稼ぎきるまで使われて、稼げなくなったら・・・でもまた次が出てきてくれるので制作側は困りません。

    ○2000年代視聴者
    視聴者の変化もあります。昭和のように俳優を憧れで観るのではなく、できない、下手、を上から目線で観る。これが下手を生み出した要因でもあります。

    他にも、下手だから応援したくなる(アイドルグループが良い例かと)。上手いとダメなんです。下手だから応援したくなるんです。下手は染まってないからいいんです。下手が頑張って何度でも諦めずに立ち上がるからいいんです。下手が上手くなるのが観れる。それが視聴者への頑張りにも繋がっていきます。これが下手を観る楽しみでもあります。クロードより、シロートが求められる時代になります。

    ○2000年代俳優
    映像技術の発展により映像が綺麗になり、上手いと思われていた俳優が下手に観える現象が起こりました。これは映像技術に俳優がついていけなかったというのがあります。売れないベテラン俳優は、家族も持たず、親の面倒もみれず、友人は減り、自分の演技は時代遅れになり、後輩には追い抜かれ、誰も必要としてくれなくなり、自分の人生はなんだったのかと一体何をしてきたのかと無意味さを感じます。こうなりたくないから、儲かる演技に流れていくんです。

    フィルム演技、ビデオ演技、デジタル演技には違いがあります。大まかに言うと、「伝える」の度合いが、綺麗な映像ほど伝わりやすい分、引き算の演技が必要だったのです。フィルム演技をデジタル映像で演技すると大袈裟に見え、分かり過ぎてしまう、ということです。当時その事に気づいた俳優が生き残っていきます。

    昔の俳優の演技も分かりやすかったですよ。フィルムやアナログ映像が緩和してくれたといっても過言ではありません。

    それと重要なのが、リアクションで演技をすることです。日本の演技はアクション型なのでどうしてもわざとらしくみえてしまう傾向があります。(例、アクションは泣く演技で、リアクションは泣かされる演技。台詞も言うのではなく、リアクションで台詞を言わされる)

    パターン1
    A氏「俺、離婚した」
    B氏「へぇ」

    パターン2
    A氏「俺、離婚した」
    B氏「え、え?突然!ど、どうして?」

    B氏のリアクションで、A氏の「離婚した」の重要性が変わります。離婚話を引き立てるのはB氏のリアクション次第という訳です。

    演技はこのようにリアクションで成り立っています。日本は何故か、多分フィルム予算を考えた関係だと思いますが、パターン2のBさんの演技を、単独のワンショットで、監督の「よーい、スタート」の掛け声で演じさせて撮りました。Aさんへの目線は助監督の握り拳。相手役が握り拳なので、どうしても自分で作った演技になります。(アクション演技)。Aさんの演技のリアクションではなく、Bさんのアクションのみで撮るのでわざとらしくみえます。この名残りが日本人の演技に受け継がれ残っています。今の時代の映像で観ると、観てる方が恥ずかしくなるような演技だと思います。

    海外では、Aさんの演技も含めてBさんのリアクション演技を撮影するので、フィルムが多めに使われます。(演技レッスンからリアクション演技のトレーニングをします)

    日本でのアクション演技の名残はまだ残っていますが、多くの撮影現場でリアクション演技になってきました。が、何故リアクション演技かを説明できる人はあまりいません。俳優がやりやすからと思っている人が殆どかと思います。

    ○ドラマ制作
    ドラマ制作側は、演技ができない俳優の方が演じてないようにみえた、という判断になっていきました。(浅野忠信さんとか)演じなようにみえる俳優が好まれます。それと使いやすい、ギャラが安い、イニシアチブを取れる、なども理由です。

    しかし視聴者としては、上手い演技を観てどうだというのでしょうか。上手い演技の定義なんて一般視聴者は持ってませんし、別に上手い演技を観なくても生きていけるので観る必要がなくなりドラマから離れます。実人生はドラマより大事なことがあるからです。

    演技なんて誰も観なくなってきました。上手い下手も分からないし、どうせフィクションを観るなら人間よりアニメや特撮ヒーローの方が割り切って観れます。その方が感動するし、人生に力を与えてくれます。

    視聴者がドラマに期待しなくなり始めました。ドラマじゃなくていいんです。CMでいいのだと。

    ○インターネット
    2000年代に入りインターネットが普及し更にドラマ離れが広がります。

    ○ドラマ制作(平成中期)
    90年代も2000年代に入ってからも、上手い俳優たちを集めたドラマ制作にチャレンジした方々が居ました。しかし視聴率が低くヒットしなかった、という結果になりました。

    「あしたの喜多善男」は、実はテレビ業界がこのドラマに期待しました。もしヒットしてくれたら、我々も上手い俳優を起用したドラマを制作できるのではないかと。

    ドラマ制作にもテレビ局内の事情があり制作されているということです。テレビ局第一優先(会社優先)のドラマ制作です。広告費を集めることが優先されていきます。プロデューサーはやむを得ず上の指示に従います。そこで視聴率という結果を出さないと自分は他の部署に飛ばされてしまいます。もしくは馘か。

    ○俳優とプロデューサー
    俳優もこの事情は分かっているので、プロデューサー(テレビ局)に応える演技を求められます。分かりやすく記号演技です。広告主側が文句を言わない広告費が集まる演技です。俳優は葛藤がありながらも承諾するようになります。しかし我慢も限界に達し、俳優の熱い思いが爆発します。演技は広告の為にするのではない。視聴者を感動させるのが俳優の仕事だと。正論をぶつける矛先はプロデューサー。

    テレビ局と俳優との間に挟まれたプロデューサーは、揉めた俳優を起用し辛くなり、揉めた以降その俳優をキャスティングしなくなります。揉めた俳優の同じ事務所で揉めない俳優をキャスティすればイニシアチブを持つ事務所側もおさめどころがあります。揉めた俳優の噂はすぐに広がり、あの俳優は現場でキレると。他の局のプロデューサーも起用しなくなり、揉めた俳優は出演しなくなります。そして俳優は現場で意見を言わなくなります。

    ○俳優
    ドラマは俳優の広告的なツールになっていきます。プロモーション演技です。当たり障りのない制作側から見た一番損をしない演技だからです。俳優が本当に表現したい演技は、舞台や映画に注ぎ込まれるようになりました。が、映画も舞台も収益を第一に考え、プロモーション的な作品が増えきたのも事実です。

    分かりやすい、記号的な演技は、テレビ局、プロデューサー、俳優、事務所、収益に絡んだ保守的な仕事の仕方の結果です。これはバラエティ番組の発展も影響してます。バラエティ番組の方に視聴者が集まり、制作費も集まりました。バラエティ番組に出演する芸人をキャスティングして、ドラマを継続させるようになります。

    ○令和
    しかしこれからドラマは変わっていくきます。観る側の環境が変わってきだからです。

    ○ドラマ視聴の有料システム
    地上波で無料で観るドラマは広告や視聴者への当たり障りないものに。苦情がこない無料ならではドラマです。ながら観る、のドラマです。これはこれで必要とされるドラマ分野になるかもしれません。

    有料ドラマはそうはいきません。有料分、視聴者を納得させなければ買って観てもらえないのですから、当たり障りのない広告&視聴者への忖度ドラマは観てもらえません。広告収益を気にせず、月額料やドラマ1話有料の収益でドラマを制作できるので、何度観ても面白い、何度観ても新しい発見がある、演技とは思えない!などのドラマでないと有料で観てもらえなくなります。そして海外に売れるドラマ制作をしなければなりません。海外ドラマがそうですよね。

    まだ実験的なところもあります。現時点でも様々な企画のドラマが生まれてます。

    私個人の見解ですが、シェアハウスは、参考になったと考えられます。視聴者が筋書きの分からないものが観たい。恋愛でも人間関係でも、ドキュメントと思わせるほどのものがみたい。これはシェアハウスから学べることです。

    今はまだどのドラマも先が見えてしまうのが難点。これは創り尽くした印象と、ドラマ制作責任者のプロデューサーと脚本家の限界を意味してます。演出、脚本の創り方に工夫が必要です。

    ○視聴率ではなく、再生回数で人気を見る時代
    どうすれば何度も観て貰えるかの模索がはじまってます。それはドラマや映画の制作についてだけでなく、演技、撮影&証明、音響、編集など、様々な視点から模索がはじまってます。インターネットを通じて世界中で日本の作品を簡単に観て貰える時代になったのも、これからまた上手い俳優の演技が観られる時代になると思います。

    視聴者の指摘も大事です。韓国では下手な俳優に対してSNSなどでボロクソ言われて干される、という時期がありました。俳優は演技が上手くないと干されるので、アメリカの良き影響を取り入れ、世界に向けて映画やドラマビジネスで収益を得ました。国家もこの収益に目を付け国が支援して俳優を育成するようになりました。

    ○SNS
    皆様の意見がドラマ制作に、俳優の演技に、反映されるようになります。

    地上波、BS、CS、有料チャンネル、オンデマンド、ハードが増えた分、ソフトが増えます。下手な演技を求められるドラマも増えていくと思います。気軽に観れてシロートが観れるドラマです。

    一方で、上手い演技が観れる何度も観れて、質の高い、奥行きのあるドラマも増えていきます。海外にも売れるドラマです。俳優の演技は世界を見据えた演技が求められます。俳優にとっては海外進出が現実的になってきました。俳優は今以上に様々な作品に対応できるよう対策を練らねばなりません。

    ○令和の俳優
    これからの俳優は、上手くもあり、下手にも対応できて、キャッチーもプロモーションもできて、様々な演技を求められ対応できるよう演技の幅が広がっていくでしょう。演技や作品に情熱を注ぎ海外での活躍も視野に入れての演技です。演技とは個人的なことなので、パーソナルトレーナーをつけてレッスンする俳優が増えていくと思います。海外の俳優と同じように。

    ○ドラマへの期待
    時代はスパイラルで回りながら上っているとイメージして下さい。再びドラマが娯楽として期待される時代がきます。人生を変えるほどではなくとも、娯楽として視聴者の役に立つドラマになるでしょう。観たい、観て良かったと思われる、ドラマです。

    ドラマ制作側も俳優も視聴者からのドラマへの期待感を変えるような仕事をしなければならないと意識するようになりました。昭和と平成の良き点を見習い、令和なりのドラマ制作に移行してます。まだ具体的にこう、とは言えないようですが、新たなドラマ制作になってきていることは確かです。

    もう少し時間がかかるかもしれませんが、今の三十代世代が日本を変えようと努力していることは確かです。

    ○下手な演技と上手い演技
    その時代に生きる人間の心理、社会情勢、経済状況がドラマ制作に、演技に反映してます。様々な要因が考えられるので論文を書けると思います。皆さんのご意見があるからこそ、次の時代へ受け継がれ反映していくのだと思います。

    久しぶりに熱くなりました。insekiさま、長文失礼致しました。最後まで読んでくださり心より感謝申し上げます。

    また人様の記事にお邪魔しての長文、勝手な真似をし申し訳ありません。

  14. Wade より:

    個人的には、先輩後輩関係も大きいじゃないでしょうか?
    先輩が歌舞伎役者で指導してきたら、監督含めしれが正しいと教え込む…ダチョウクラブ並みのオーバーリアクションの俳優が次世代にそれを教え込む…という悪循環。
    その点、アメリカの監督さんはどんなに有名な俳優(主役でも)でも、プロ意識が欠けていれば、普通に切ります。
    日本の文化の欠点とも言えます。

  15. […] なぜ日本の役者は演技が下手なのか http://inseki.info/2017/11/05/post-857/ […]

  16. 日本のテレビはニュースしかみない より:

    今、超話題のテレビドラマの主要登場人物が思いっきり大根である。彼は、某国営テレビの主役時代から一貫して大根である。
    漫画原作で、ストーリーは面白いのに気がそがれる。
    美男美女で主役をはっている人気俳優で大根が多い。
    でも、不思議なことに視聴率が取れる。大根役者が大根ゆえんは放送局とプロダクションの関係らしい。かくして、日本でしか通用しないドラマが増えていってるらしい。海外テレビと違って、ワールドマーケット無視ですから。(テレビ局内部の人が記事してました。匿名で)

  17. より:

    常日頃から日本の映像業界のオーバーな演技に憂慮しています。私なりの見解では日本の映画でも自然な演技に挑戦している作品は数多くありますが。総じて低評価な印象です。結局視聴者がオーバーな演技の作品を求めている事に尽きるかと。大河ドラマや朝ドラが高視聴率なのが顕著な例だと思っています

  18. マープー より:

    アンパ⚫️マンやしまじ⚫️うにリアルな内容は求められていないと云う事なのでは無いでしょうか。

  19. もりもり より:

    漫画と映画の勉強をしています。
    全て記事内で仰る通りだと自分も感じています。
    演技に関しては、欧米は演技の勉強をガッチリしますので、アイドルのようなポジションをポンポン起用する日本だと当然太刀打ちできる訳がありません。
    同じ人種である東アジア圏の作品を見ると、見た目が同じ分仕草などから演技力の違いが一層分かりやすいです。
    それから演技がアニメ風の大げさな表現になってしまう理由に、日本のドラマ脚本のルールである「ドラマはお茶の間で『ながら見』をするものなので、画面を見なくてもわかるように」が大きいと思います。つまりヒッチコック映画でよく使われるような、会話内容と人物たちの思惑が違うなどの手法より、心理を全部話してしまったり、また状況を言葉で説明してしまうような手段が多いかと。
    ほとんどの漫画(おそらくアニメも)は逆に心理を明確に話す手法を取ってます。
    この手法に慣れてるせいか、邦画で話さない試みをしている作品は逆に話さなすぎの雰囲気映画だったりと非常にバランスの悪さを感じます。
    個人的にはこの、制作側が”みんな『ながら見』をしてると思い込む慣習”をまず一番どうにかした方がいいと考えております。朝ドラはともかく夜のドラマは向き合って観る人が多いと思いますし。

  20. たもつ より:

    みなさん正しいんじゃないでしょうか。
    ただ、個人的な意見を言いますと。
    ここに訪れる方は観察力に優れているのではと思います。
    あまりに下手な出演者はともかく。私は若いときは気になりませんでした。
    しかし、色々な作品を見ていくうちに目が肥えてきたのか、違和感を感じることが増えてきました。日本語吹き替えなどは、見てられません。展開も強引すぎると冷めてしまう有様です。
    朝ドラにお笑い芸人さんが出演することが多くなりましたが、多くの方は演技の上手下手に気づいてないかたも多いのではと思います。
    下手でも使うのは、他の方がおっしゃっているような事もあると思いますが、そんなに気にしてない視聴者が多いからという側面もあるのではと思います。
    ちなみに海外映画でも下手な役者さんはいらっしゃいますよ。

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