「今見てる人いる?!」から考える自分が失った童心

youtubeなどで再生回数の多い動画にある「ねえ!今見てる人いる?!」という大量に寄せられる純真無垢で眩しいくらいに天真爛漫なコメントをみると自分の童心は完全に失われてしまったのかと肩越しに過去を振り返りたくなる。

たぶんこのコメントの正体は小中学生だろうとは思うが実際は調べてないのでわからない。HIKAKIN氏の動画によく見られるのであながち間違いではないとは思っている。

いくつかの動画では信じがたいほどにそのコメントと返事の羅列になっていて呆気に取られる。毎日のように「今見てるひとー!」「これ今見てるの俺だけだよな・・・」「うちも今見てる(笑)」というコメントの応酬で溢れ返っている。そして彼らは全くの無垢な感覚でこのコメントを寄せているように映る。

これらのコメントについて少し調べてみると、概ね「理解できない」という意見が多数で、いくつかは過激な論調で無視すべきものとして突き放している。しかし一蹴するにはあまりにも数が多く、幼少期特有の「普遍的な感情の一種」なのは間違いないと思うに至った。

私も理解できないのは同様だが、特定の年代では一般的な感情であるにもかかわらず、どういう動機で発言されているのか想像すらできなくなっていることに気づく。あったはずの童心を失ったかのごとく彼らの心理状態を想像できない。逆に「それを聞いてなにか意味があるの?」とこちらが聞き返したくなってしまうほどだ。

無理やり動機をひねり出すとこんな感じだろうか。

  • 寂しさ?孤独感の解消?
  • 自分だけがこんな過去の動画見ているという優越感?
  • その動画の面白さを今この瞬間に分かち合いたい?

どれも正解なのかもしれないがどれもしっくりこない。

このように想像すら出来なくなってしまったので、状況から現象を整理するしか方法がない。何とかして理解するために幾つかこの現象に沿った仮定をしてみる。

  • 彼らは自分の感情の共有に対して非常に積極的
  • 彼らは「不特定多数」と「特定他者」との区別がない もしくは薄い
  • 彼らは「時間の同時性」が共有体験としてとても重要な要素になっている

確かにこれらを満たすと子供の感覚になれるかもしれない。上2つはどちらも「人懐っこさ」の程度に影響している気がする。2つ目はネットと現実の境界と言ってもいいのかもしれない。3つ目は恐らくこの現象の最重要ポイントなはずであるが、どういうことなのかさっぱりわからない。少年少女を彼らたらしめる特別な価値観が隠れているはずなのだが。

私は童心を完全に失っているようだった。素人が手を出す話ではなかったようである。

幼いころは飼い猫と会話ができたのに、知らぬ間に意思の疎通が出来なくなっているという話をぼんやりと思い出した。

コメント

  1. ななし より:

    共感

  2. 石炭 より:

    俺も理解できなくて「今見てる人 なぜ」でググってここにたどり着いた
    けど、意味を考えちゃう時点でこの言葉の本質は理解できないんだろうね
    言語問わず多くの子供がこの類のコメントを書き込むに至るというのは、人間の本能の部分に関係しているように感じる

  3. ケン より:

    面白い。

    この「今見ている人いる?」系のコメントとは英語でもよく見ます。
    “Who is watching this in 2020?” などで
    数千のコメントが付きます。

    国や言語を超えた世代の感覚なのだと思います。

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